WORLD SOCCER MAGAZINE 2000年6月号

レコバ

Alvaro RECOBA インタビュー


ーー今シーズン、特に中盤から目覚しい活躍を見せているね。日本でも、あなたのファンが急増中なんだけれど、まずはサッカーとの出会いを教えてくれないか。
「ありがとう(笑)。サッカーとの出会いは5歳の時だったかな。父親がゴールキーパーをしていたんだけれど、積極的にサッカーを薦めたのはおふくろだった。ちょうど、兄貴と一緒に遊び心で始めたのがきっかけだったね。のめりこんでいったのは、それからかな。15歳でダヌビオのジュニア・リーグでプレーするようになって、少しずつサッカーが自分の職業になるんだと確信していったんだ」


ーーあこがれていた選手は誰だったの?やっぱりウルグアイの選手だよね。
「そうだね、ヒーローはルベン・ソサだった。ダヌビオ時代には身近に接することもできたし、ワールドカップ予選での彼のプレーは、信じられないほど素晴らしいものだった。当時は、彼のように世界の一流プレーヤーになることだけした頭になかったね。それに、彼からはサッカーと共存していく術を教わった。まず第一にサッカーを楽しみ、どうやって一緒に生きていくかを教えてもらった」


ーー最初に”プロ”としてピッチに立った時の様子を教えてほしい。
「17歳の時で、デフェンソール戦でだった。すごく緊張していたよ。あまり良いプレーはできなかったな。その後、3試合目で2ゴールを挙げたことは記憶に残っている。この試合に勝ったおかげで、リベルタドーレス杯にも進めたしね。今思えば、大きな苦労なくスターティング・メンバーに入ることができた。考えていたよりも、簡単に道が開けたと思う。だけど、その後は、さまざまな困難が、待ち受けていたんだ」


ーー10代で味わう挫折とは、どんなものだったの?
「すごく辛かった。そこから抜け出せないと思っていたよ。多くの問題を抱えて、なかなかチームに溶け込めなかった。そのせいか、次の年には出場機会が減ってしまったんだ」


ーーそんな境遇から、どうやって抜け出したんだろう。
「その前に、この時期はU−23の選手からも漏れてしまった。さらに悪いことに、ナシオナル(モンテビデオ)への移籍話も吹っ飛んでしまったんだ。本当に自身をなくしてしまったよ。
ダヌビオでプレーするのも辛くなり、気分転換のつもりで2週間のバカンスを取ったんだけど、バカンスが終わると余計、練習に出たくなくなってしまって・・・。
それを救ってくれたのが、周りの人々だった。マネジャーのおかげでナシオナルへの移籍が決まると、その後はすべての問題が一気に解決されていったんだ。おかげで、新しい場所でも、一から頑張ってみようという気持ちになれた。
この年(96年)、最優秀選手にまでノミネートされたのも、努力のおかげだと思うよ。そして、この世界から離れないですんだのは、良き友人たちに恵まれたせいなんだ」


ーーウルグアイでの思い出は、たくさんあると思うけれど、一つを挙げるとするなら何かな。
「シーズンで言えば、96年だね。ウルグアイは前期と後期に分かれているんだけれど、この年、後期のリーグで優勝することができた。それと、リベルタドーレス杯に出場できる権利を手にすることができたのも、うれしかったね。最近ではナシオナルの創設100年を祝う大会に参加したとき、(99年)、スタジアムに来た観客みんなから熱い喝采を浴びたんだ。心に響いたよ」


ーーそして97年。あなたにとって大きな転機が訪れたね。住み慣れた地を離れ、イタリアへ渡ったわけだけど、どんな印象を受けたかな。
「イタリアのリーグでプレーするということは、外国人にとって本当に大変なことだと実感したよ。これは、ひと口には言い表せないぐらいだ。世界中から集まってくるトッププレーヤーの中で、最高の成績を残さなければならないプレッシャーと言ったら、想像を絶するものがある。
ウルグアイのサッカーと比較することは、タブーに感じたよ。セリエAは、世界のトップレベルのプレーヤーが、さらなる高みを求めしのぎを削っているんだ。その姿を想像しただけでも、どんなにすごいか分かると思う。
ウルグアイとイタリアの大きな違いは、その基盤にある。イタリアには、それぞれのチームを支えるファンの大きな力と財政力があるんだ。ウルグアイには正直、それがないからね。将来に期待を持てそうな母国の選手は、必ずといっていいほど国外に出ることを考えてしまう。でも、それはウルグアイにとってて、そして選手にとっても大きなプラスになると思うよ」


ーーそして、インテルというビッグクラブでプレーを始めました。
「初出場は、開幕戦のブレシア戦だった。僕の人生の中で、輝かしい1ページになったよ。かなりの幸運にも恵まれていたけれど、信じられなかった。終了10分前に交替で出場し、2ゴールも挙げられるなんてね。まるで、夢のような出来事だったな」


ーーだけど、多くのタレントをそろえるインテルでは出場の機会に恵まれなかったよね。
「ちょうど、インテルで自分の将来について考えていた時期だった。毎日がすごく不安で、プレーできない苦しさを十分に味わってたんだ。ピッチに上がれるんだったら、わらをもつかむ思いだった」


ーー昨シーズン、ベネチアへのレンタル移籍は、そんな思いが含まれていたんだね。そして、あなたの能力が一気に開花された。
「ちょうどベネチアも順位を下げていたし、活躍の場を与えてもらえて感謝している。多分、イタリアに来てから一番幸せな時期だったと思う。だって、6ヶ月の間に11ゴールも挙げたんだからね。
そして、僕を見捨てずにじっと待っていてくれたモラッティ会長にも感謝したい」


ーー今シーズンの活躍は、この時期の下積みが実を結んだのかな?
「どうかな。でも、大きな自信にはなったね。イタリアでも十分にやって行けるんだ、と思えるようになったのは収穫だと思う」


ーーそれだけ?明らかに変わったように思えるんだけど・・。
「ん〜、そうだね。素直に言えば、精神状態が一番安定したよ。結局はあの時の活躍が認められて、出場回数も増えたんだからね。
試合に出るということは、精神的にもすごく落ち着くんだ。なぜなら、『良いプレーをして得点を挙げる』というシンプルな目標に向かえるからさ。プロ・アマ問わず、メンタリティーの持ち方は重要だと思う。誰にだって、底辺には『情熱を持って楽しくプレーしなくちゃ』という意識があるんだからね。
それと、今シーズンはロナウドとビエリの戦線離脱によって与えられたチャンスを生かせた点に尽きる。チャンスを物にできた自分を褒めてあげたいな」


ーーもはや、ロナウドと同じ立場までに成長したと思うんだけどね。
「いや、そんなことはないよ。まだまだ、彼のレベルまで成長するのは時間がかかると思う。でも絶対に負けたくない。このチャンスは必ず物にするよ」


ーーリッピ監督についてはどうだろう。シーズンの当初はビエリやロナウドにこだわりすぎて、チャンスを与えてもらえなかったように見受けられたけど。
「そんなことはないよ。彼はすべての選手にチャンスを与えるんだ。常に向上心を持ってプレーしていれば、スタメンとして出場できなくても必ず出番を与えてくれる。
彼は常々、『どんなことができるかを見せてくれ』と言ってくる。僕はそれに応えなれれば、という気持ちでいっぱいなんだ。そして、ほんの数分でもピッチに上がれば、自分のすべてを見せることに没頭する。
決して、僕だけじゃないはずさ。スタメンでプレーできない選手も、ピッチに立って良いプレーをするため、必死に練習しているし、自分の最高のプレーをしようと頑張っている。監督が僕を使ってくれる時、必ず自分の価値を見せようとしているし、自分でなければできないものをしっかり表現している。ここまで成長できたのも監督のおかげだと思うね」


ーー分かりました。それでは、ちょっと早いですが、今シーズンを振り返っていただけないでしょうか。ワールドサッカー・マガジンでは、来シーズン、あなたを中心にインテルは必ずスクデットを取るだろうと考えています。
「そこまで僕を認めてもらって、うれしいよ。今シーズン、我々にかけているものは何もないと信じている。最高の選手が集まっているし、しっかり練習も積んだ。にもかかわらず、格下のチームに負けてしまっているのは、正直、僕にも分からないんだ。詰めが甘い、と言うわけでもない。
唯一考えられるのは、我々のチームはまだ1年目だ。皆のあうんの呼吸が少々、ズレているのは認めざるを得ない事実だ。これまでのように、シーズン終了後、大きなメンバーの入れ替えがなければ、来シーズンは絶対に期待してほしい。監督をよく理解でき、どうやって戦うかしっかり分かった選手がそろってプレーすれば、怖いものなど何もないさ。
残念ながら、今シーズンはチャンピオンの道は閉ざされてしまったけれど、まだチャンピオンズ・リーグの出場権獲得へ向け戦いは続いている。そして、カップ戦もしかり。とにかく今は、この二つを全力で狙わなければならない。
僕個人としても、来シーズンはより飛躍の年だと考えている。今シーズンのできがフロッウでないことを証明するつもりだよ」


ーーそれでは、インテルでのライバルを挙げてくれないかな。
ロベルト・バッジョだった。もし彼がピッチに立てば、自分は出場できないと思っていたからね。だから、彼のことをかなり面白くない目で見ていたかもしれない。でも、それは間違いだと気づいたよ。全員でプレーし、良い結果を出すことが最優先だ。今は良き仲間と考えられるようになったね」


ーーインテルのFW陣に絞った質問をしたいんだけれど、サモラノ、ロナウド、そしてR・バッジョから学び取ったものとは何だろうか。
「何といっても、変なこだわりを抱いていた(笑)、バッジョから学び取ったことが一番多い。僕は彼のプレースタイルに似ていると思うしね。どうやってフィールドで動くか、いろんなアドバイスをしてくれたんだ。特に作戦通りにはいかないとき、どのようにしてプレーし動くかをね」


ーー例えば?
「それは、教えられないな(笑)もう少し時間が経ったらね」


ーーそれでは(笑)、一番印象に残っているゴールを教えて欲しい。
「皆はエンポリ戦でのゴール(昨シーズンのの17節、50メートルの地点から前に出ていたGkの頭上をロビングで抜いたゴール)が記憶に残っているみただけれど、僕はインテルのユニホームを着て開幕戦を飾ったブレシア戦での2つのゴールだ。
40メートルのロングシュートを決め同点に追いつき、そしてFKから逆転ののゴールを奪った。決して忘れることのできないゴールだよ」


ーー代表の話題に変えるけれど、調子はどうかな。
「ちょうど、ボリビア相手に1−0で勝ったところだ。我々のチームには、まだ大きな経験をした選手が少ない。それに、ほとんどが若い選手ばかりだからね。
今回、1勝できたことは皆を力づけてくれた。それにファンも情熱的に応援してくれたしね。
ただ南米の予選は、世界でも激戦区だし過酷な戦いを強いられる。それに炎天下の中、標高4000メートル級の町で戦うのは、至難の業だよ。そんな中で、勝ち進むだけでも大変なことだろう」


ーーあなたが日本でプレーした時のことを、今でも鮮烈に覚えています。
「2ゴールを挙げたのは覚えているけれど、結局、試合に負けてしまったからね。でも、素晴らしい国だった。また行ってみたいな。今度はぜひ、ワールドカップで良い試合を見せに行くよ。その時は、ウルグアイの応援もよろしくね」


ーーイタリアで活躍する日本選手のイメージは?
「中田だね。彼とは電話で連絡し合う友達だよ。素晴らしい選手だ。ペルージャで出場するよりも、ローマで戦う方が厳しいのに、彼は、ローマでも自分の長所を見せている。これからが、もっと楽しみだと思う」


ーー将来については、どうだろう。
「できるだけ、長くプレーし続けたいと願っている。今の目標は、インテルでの出場回数を増やし、一つでも多くのカップを獲得することだね」


アルバロ・レコバ
1976年3月17日、ウルグアイモンテビデオ生まれ。
幼少時代にダヌビオの下部組織でプレー。
94年に17歳でトップチームに引き上げられると、一気に才能を開花させ、ファンの心をつかんだ。同年、その活躍が認められ新人王に選出。
96年にはウルグアイの名門ナシオナル・デ・モンテビデオに移籍すると、後期のリーグ優勝に貢献した。セリエAデビューは97年、インテルの一員としてブレシア戦に出場。
この試合で2ゴールを挙げチームを勝利に導き、一躍、注目を集めた。今シーズンは、ベネチアへレンタル移籍した昨シーズンの経験を生かし、インテルで大きく成長を果たしている。代表デビューは95年。

173cm、68kg