FUTBOL MUNDIAL #584●特集1:リヌス・ミケレス

●特集1:リヌス・ミケレス
オランダの「トータル・フットボール」を生み出したFIFAの20世紀最優秀監督リヌス・ミケレスの追悼特集。

来る6月FIFAワールドユース選手権を開催するオランダ
悲報が届いたのはその組み合わせ抽選会の最中でした
オランダサッカーの父リヌス・ミケルスが帰らぬ人になりました
マルコ・ファンバステンです



marco van basten
「オランダのサッカー選手にとってミケルスは大切な人でした。人格者でしたし、経験豊かな優れた監督でした。彼とサッカーが出来て本当に勉強になりました」




監督としても多くの才能が海外で活躍するオランダ
ミケルスはそんな監督達にも大きな影響を与えました



フース・ヒディング監督です



guus hiddink
「ザ・ブル、雄牛等と呼ばれていましたが、ミケルスの人柄は特に晩年は非常に強い人間愛に貫かれていた様に思います」




将軍やスフィンクスというニックネームもありました
20世紀最優秀監督に選ばれたミケレスは、何故これだけの尊敬を集めるのでしょう
オランダの新聞各紙はこれはアヤックスとオランダ代表で活躍した素晴らしいフォワードを失っただけに留まらない悲しみだったと追悼記事を載せました
ミケレスは監督に転じてからは、オランダサッカーのプロ化に貢献しトータルフットボールを生み出しました




rinus michels
「トータルフットボールと言う言葉を考え出したのは私です。チーム全員で守備をし、出来るだけ多くの選手でビルドアップするという戦術を最初に考えたのが私でした。攻撃に関しても全く同じです。つまりポジションは全ていつでも流動的だという事です。それがトータルフットボールです」




この革新的なスタイルを実戦したのがヨハン・クライフ
才能豊かな選手達のリーダーでした




johann cruyff
「ミケルスは私の持つ力を上手く使ったと思います。サッカーが上手いだけではなく、自分を表現し周囲とコミュニケーションを取る力が新たに求められていました。彼はそれを若い私に教えてくれました」




オランダでプロリーグが発足したのは50年代半ば
ミケルス率いるアヤックスは急成長し、1971年のヨーロピアカップを制しました
ミケレスは65年にアヤックスの監督に就任
66年からリーグ3連覇
69年にはヨーロピアカップ準優勝
そして71年決勝でパナシナイコスを破り、初のヨーロッパチャンピオンになったのです



ヨハンニーケンスは当時をこう振り返ります



johann neeskens
「監督は非常に厳しい人でした。口答えする事は許されませんし、練習中も常に100%集中する事を求められました。練習をサボリでもすれば、1時間半の練習が3時間になりました。将軍という愛称には謂れがあるのです」




クライフらを擁したアヤックスは、71年からヨーロピアカップ3連覇
ミケルスは初優勝後にアヤックスを去り、バルセロナの監督に就任します
そして74年のワールドカップではオランダ代表を率いて準優勝
ミュンヘンで行われた決勝で、西ドイツに敗れたにも関わらず、ワールドカップでの最強チームと賞賛されました



ミケルスは心臓の手術を経て、88年ヨーロッパ選手権で再びオランダ代表監督に就任
スーパースター軍団を率いました
それまでにバルセロナで2期、アメリカとドイツのチームでも監督を務めましたが、将軍の厳しさは変わりませんでした
88年のユーロでは初戦で起用されず、チームを離脱しようとするファンバステンをクライフが引き止めるという騒動もありました



初戦を落としたオランダでしたが、決勝で再びソビエトと対戦
今度はファン・バステンも加わりました
ファンバステンはこの大会イングランド戦でハットトリック
西ドイツ戦で決勝ゴールの大活躍
そして鮮やかなゴールをソビエト戦でもあげ、チームは優勝を決めたのです
ファンバステンと握手を交わしたミケルスは、清々しい表情で代表監督の座を去りました




これ以来主要大会で優勝の無いオランダ
しかし、ミケルスの功績が語り継がれるのはこの優勝の為ばかりではありません



フランクライカールトです



frank rijkaard
「ミケルスはオランダサッカーのスタイルを確率した1人です。チーム育成と言う概念を導入しました。カリスマ性があり、非の打ち所のない成績を残しました。選手起用も絶妙でした。どんなタレントが必要か判っていたのです」




ミケルス色を今も色濃く残すアヤックス
選手にはオールラウンドで多彩な技術、戦術に対する理解、自ら考える力が求められます
ミケルスの影響力が薄れる事は無さそうです



国民による投票でオランダ代表ベストイレブンを選ぶ時、選手については様々な議論が飛び交います
クライフ(johann cruyff)、ニースケンス(johann neeskens)、ライカールト(frank rijkaard)、クロル(Ruud Krol)、カイザー(Piet Keizer)、ファンデルサール(Edwin Van Der Sar)、フリット(Ridi Dil Gullit)、ファン・ハネヘム(Wilhelmus Van Hanegem)と選択肢が多すぎるからです


しかし監督は議論の余地無し、他の人は考えられません
それがリヌス・ミケルス



将軍です




http://www.rinus-michels.info/



Cv Rinus Michels

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NAAM Marinus Jacobus Hendricus Michels 'De Generaal', 'De Sfinx'
GEBOREN 9 februari 1928, Amsterdam, Nederland, overleden op 3 maart 2005, Aalst, Belgie
LAND Nederland
CLUBS Ajax; JOS, Ajax, Barcelona, Nederland, Los Angeles Aztecs, 1. FC Koln,
Bayer Leverkusen
POSITIE centrale spits
BEEN
LENGTE
GEWICHT
INTERLANDS, GOALS, GEM., LAATSTE UPDATE
5 0 0 eind carriere
http://www.beijen.net/frank/cvs/michels-r.htm


アヤックス
http://www.ajax.nl/




バルセロナ
http://www.fcbarcelona.com/




パナシナイコス
http://www.pao.gr/





Jスポーツ
http://www.jsports.co.jp/program/info/6806.html