FIFA フットボール・ムンディアル2013年9月から2013年11月まで

#160 ■特集
▽元欧州チャンピオンズリーグ王者のセカンドキャリア
▽ペレが生まれた家
■インタビュー
▽M.セナ(米・ニューヨークコスモス/元スペイン代表)
 ニューヨークでつかんだ新たな輝き
▽ハン・シギ(元中国代表) 中国サッカー界の現在地
9月19日(木) 10:30 〜 11:00
9月21日(土) 18:00 〜 18:30


#161 ■特集
エクアドル 躍進を支える強化プロジェクト
ビーチサッカーW杯を迎えるオセアニアの島国・タヒチ
▽トルコ代表 W杯初出場の記憶
■インタビュー
▽ミチュ(英・スウォンジー所属) プレミアリーグで躍動する
 スペイン人ストライカ
初回放送9月24日(火) 17:00 〜 17:30
9月26日(木) 22:00 〜 22:30
9月28日(土) 19:00 〜 19:30


#162 ■特集
▽再建の道を歩むジンバブエ代表
■インタビュー
▽L.ファビアーノ(ブラジル・サンパウロ所属) セレソンへの思い
▽G.エスピノーサ(元エクアドル代表) 最高のW杯
▽サミ・アル=ジャバー(元サウジアラビア代表)
  砂漠の英雄が語るサウジアラビアの栄光と現在
初回放送10月1日(火) 17:00 〜 17:30
10月2日(水) 22:00 〜 22:30
10月6日(日) 9:00 〜 9:30


#163 ■特集
▽ブラジルW杯への準備を進めるオーストラリア代表
▽発展を始めたアフリカの小国 モーリシャス
▽ダノン・ネーションズカップ 世界中の子ども達がサッカーの母国へ
■インタビュー
▽M・バルブエナ(フランス・マルセイユ所属)成功を掴んだ小さなスター
初回放送10月8日(火) 24:00 〜 24:30
10月9日(水) 14:00 〜 14:30
10月12日(土) 6:00 〜 6:30
10月14日(月) 23:30 〜 24:00


#164 ■特集
▽2022年W杯開催国 注目を浴びるカタールの現在
▽Africa on the Ball 貧困をサッカーで救う
▽サッカーとゴルフの融合“フットゴルフ
■インタビュー
▽D・パサレラ(元アルゼンチン代表監督) アルゼンチン代表栄光の記憶
初回放送10月15日(火) 17:00 〜 17:30
10月16日(水) 6:00 〜 6:30
10月19日(土) 10:00 〜 10:30
10月20日(日) 14:30 〜 15:00


#165 ■特集
▽コロンビア代表 W杯に返り咲いた南米の雄
▽M・ラウドルップイングランドスウォンジー監督) 選手・監督として活躍するデンマークのスター
オセアニアに舞う砂の上の美技 ビーチサッカーW杯
■インタビュー
▽L・マッケンジー うつとの戦い・ボクシング転向 壮絶な人生を歩む元サッカー選手
初回放送10月22日(火) 17:00 〜 17:30
10月24日(木) 9:00 〜 9:30
10月25日(金) 16:15 〜 16:45
10月26日(土) 26:30 〜 27:00


#166 ■特集
ギリシャが誇るビッグクラブ オリンピアコスFC
▽「サッカーをメジャーに」 オセアニアサッカーの進む道
▽FA創立150周年 世界最古のサッカー協会が歩んだ歴史
■インタビュー
▽希代のクラッキ ロナウジーニョ(ブラジル・アトレチコ・ミネイロ所属)
初回放送10月29日(火) 17:00 〜 17:30
10月31日(木) 9:00 〜 9:30
11月3日(日) 6:00 〜 6:30


#167 ■特集
モンテネグロの名門クラブ FKスティエス
▽コロンビアリーグ栄光の時代
■インタビュー
▽G・ウェア(元リベリア代表)引退してもなお国を背負うアフリカの英雄
ベルティ・フォクツ(元ドイツ代表監督)子ども達の夢を支える“テリア”
初回放送11月5日(火) 17:30 〜 18:00
11月8日(金) 26:30 〜 27:00
11月10日(日) 10:00 〜 10:30



#168 ■特集
▽復活を期すギリシャの名門 AEKアテネ
▽アフリカの強豪 ガーナ・サッカーの先駆者たち
■インタビュー
▽J・ボアテング(ドイツ代表・バイエルン・ミュンヘン所属)ドイツの躍進を支えるヤングスター
▽福井理人(モンテネグロ・FKスティエスカ所属)ヨーロッパで奮闘する日本人ストライカ
初回放送11月12日(火) 17:30 〜 18:00
11月15日(金) 14:30 〜 15:00
11月17日(日) 24:30 〜 25:00
11月18日(月) 13:30 〜 14:00



#169 ■特集
▽CSエレディアーノ コスタリカを牽引する強豪クラブ
ギリシャにおけるサッカーの社会的貢献
■インタビュー
▽B・ブラッドリー(エジプト代表監督)混乱の中で闘うアメリカ人監督
▽G・ベドヤ(コロンビア・サンタフェ所属)稀代のレッドカード・コレクター
初回放送11月19日(火) 17:30 〜 18:00
11月21日(木) 12:30 〜 13:00
11月22日(金) 26:30 〜 27:00
11月23日(土) 10:30 〜 11:00



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FIFAフットボール・ムンディアルFIFA futbol mundial)は、IMGの番組制作部門・TWI / IMG Mediaが制作する世界のサッカー事情を取り上げる情報番組である。題目はスペイン語で「世界のサッカー」の意。近年、FIFA国際サッカー連盟)の冠がつくようになった。
>>出典 : goo Wikipedia
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放送日 2013年11月21日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
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FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
今回は、コスタリカBIG3に数えられるクラブの話題をお届け。
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コスタリカ
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
コスタリカの首都から3kmほど北に位置する街が本拠地である「CSエレディアーノ」は、過去3シーズンで2度優勝し、コスタリカBIG3に数えられている。ピッチでの成功とは裏腹に、無責任な投資によって18ヶ月前には破産寸前だった。会長はクラブを救うため、地元のビジネスマンを招聘した。その中にはアメリカ人の現オーナーdavid pateyがいた。
チームは1922年に創設。同じ年に誕生したコスタリカリーグの王者でもある。財政立て直しのため、新たな経営陣は人件費を最大30%削減し、誠実に対処したため選手との信頼関係は保たれた。
オリンピアコスFCの背番号79ヴラディミル・ヴァイスが、自分の背番号について語った。珍しい番号だといわれるが、この番号は一年前に彼女と出会ったことがきっかけでつけたもので、特別な番号なのだという。
エジプトでは、政治やスポーツとなると熱くなる傾向がある。最近の革命とデモはサッカーにも影響を与え、しかし今の代表監督は周囲の状況に流されないアメリカ人が務めている。ボブ・ブラッドリー監督は若い頃からあらゆるスポーツをおこない、遊びでサッカーもしていたという。プロにはなれなかったが、20代半ばで監督となり、2010年のW杯を前にアメリカ代表監督となった。監督はエジプトをW杯へと導こうとしている。
ロビー・キーンが、2002年のW杯のときのことについて語った。ストリートでサッカー経験があっても本物のW杯に出場できるとは思っていなかったし、これは自分にとってもアイルランドにとっても事件だったと話した。また、ドイツ戦の終了間際にゴールを決めたことは、大会の中でも印象深かったのではないかと語った。
厳しいタックルや強引なやり方を売りにしているヘラルド・ベドジャにインタビュー。ヘラルド・ベドジャは今年初め43枚目のレッドカードを受けて世界一のカードコレクターとも言われている。レッドカードが多いが代表選手としても長く活躍しており、代表選手として活躍できる事や優勝した事を誇りに思っていると話した。
AFC U-19女子の決勝など最新のサッカートピックスを紹介。
アテネでは経済危機の影響をまともに受けて景気は6年連続で後退、そこに緊縮政策や高い失業率も加わりホームレス人口は25%も増加した。ホームレスの自立を支援している男性は、ストリート専門紙を創刊しホームレスに新聞を配る仕事を与えて支援していた。そしてホームレスたちによるサッカーチームを運営し、サッカーでの希望をサッカー以外にも伝わるようにしたいとしている。
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CSエレディアーノ ヘラルド・ベドジャ オリンピアコスFC エジプト 2002 KOREA/JAPAN
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/227352/index.html




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>>出典 : goo Wikipedia
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放送日 2013年11月14日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

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オープニング映像。
アテネの名門クラブ、ドイツの若きスタープレイヤー、西アフリカのサッカー先駆者たちの物語を紹介する。
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
名門AEKアテネFCが、昨シーズン一部リーグから降格した。これについてdusan bajevicは「クラブ関係者皆が多くのショックを受けた。この失敗を教訓にし、ヨーロッパ大会に出場することを目標とする。」と話す。また、降格後ある試合で選手が問題発言をしたことでチームは信頼を失ってしまった。これについて、トライアノス・デラスは「1人の選手の言葉はチーム全体につながる」と話した。この問題をきっかけにチームは三部リーグのアマチュアまで降格してしまった。今の状態から抜け出すためにどうすれば良いのかを、監督や、かつてリーダーを務めたnikolaos georgeasが語った。
FIFAランキングの順位を表示した。ギリシャは3つ順位を落として15位、スイスは7位、アイスランドは46位。
ユース時代にヨーロッパ王者に輝き現在はドイツフル代表のメンバーであるジェローム・ボアテングは25歳の若さで4つのクラブで活躍した。アンダー17では全ての試合でレギュラー入りした。2010年ワールドカップでは、ジェローム・ボアテングを含めたドイツの新世代を担う選手達が近代的な攻撃サッカーを披露した。バイエルンで再び参加を狙いワールドカップ出場も目指している。
福井理人は、J2のガイナーレ鳥取シンガポールのクラブなどを渡り歩き、現在モンテネグロのFKスティエスカ・ニクシッチに所属している。福井はサッカーの違いに関して「サッカーのスピードやテクニックは日本の方が上。フィジカルの強さはモンテネグロの方が上。サポーターを含め街全体がチームを応援してくれる」と話した。自身のキャリアについて「今の生活には満足している。できるだけ長く現役選手を続けたい」と話した。
「2002ワールドカップでのブラジル代表の活躍は私に強烈なインパクトを与えた。決勝のロナウドらの活躍を見て、自分もブラジル代表としてワールドカップで優勝したいと強く願うようになった。」と話した。
ガーナのサッカーの歴史を紹介した。現在ガーナの首都アクラでは至る所でサッカーが行われており、アフリカ一の強豪国となっている。植民地化時代、1951年に始めてイングランド遠征を行った。この試合で、ガーナ代表は選手全員が裸足でプレーしていた。当時のサッカー協会の会長であるben kwofieは「前代未聞のこと。あの遠征をきっかけにガーナのサッカーの発展の歴史が始まった」と話した。その後 メンバーのほとんどがガーナ代表のレアルリパブリカンズ、初の白人スター選手スタンリー・マシューズのチーム加入などを中心にガーナのサッカーは発展した。osei kofiは「スタンリー・マシューズを見に多くの観客が集まった。」と話した。
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FKスティエスカ・ニクシッチ モンテネグロ AEKアテネFC dusan bajevic ガイナーレ鳥取 トライアノス・デラス nikolaos georgeas ルーカス・ロドリゲス・モウラ・ダ・シルヴァ 2002ワールドカップ ロナウド ジェローム・ボアテング アクラ(ガーナ) ガーナ リアル・リパブリカンズ スタンリー・マシューズ
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/225679/index.html








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放送日 2013年11月7日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

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今回はアフリカが生んだ史上最高の選手、モンテネグロの名門クラブ、そしてテリアと恐れられた元ドイツ代表の別の顔などを放送する。
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
チューリッヒにあるFIFA本部では連日ミーティングが行われており現役から往年の選手までいる。アフリカが生んだ史上最高の選手ジョージ・ウェアも24人で構成される理事会メンバーの1人で引退から10年が経った。ジョージ・ウェアは引退後は学校に復学して経営学の学位取得や行政学修士を終えるなどしていた。また現在はリベリアの平和大使を努めており民主変革会議という政党の代表もしていると語った。リベリアにとってジョージ・ウェアの存在は大きく、ウェアがいることでリベリアの人たちは夢を持つことができている。ジョージ・ウェアは、党首を務める民主変革会議はリベリア野党第一党であり、今後も政治の世界にいるつもりだと話した。また、2014年の選挙ではモンロビアの上院に出馬しようと思っていると話した。リベリアは400万人に満たない国民が16の民族に分かれていることで、政治家の仕事は国をまとめることにある。ジョージ・ウェアは、自分が子供の頃に味わうべきではない暮らしをしていたため、子供たちが学校や病院に行くことが出来るような国に変えていきたい、そのために政治の世界にいると語った。
ジョージ・ウェアのキャリアのハイライトは90年代半ばから後半のリベリアの状況が最悪だった時で、国のサッカー協会は機能しておらずウェア自身が代表チームの面倒を見ていた。リベリアは2002年のワールドカップ出場まであと一歩だった。ジョージ・ウェアは、リベリアの代表チームが国を背負って将来のために前向きなイメージを描けるようにする責任があるとして自らチームのスポンサーになったと話した。その時リベリアの人たちが大いにサポートしてくれたという。それは戦争を止めてサッカーを見に来てくれたことだった。また、内戦中だったが試合に行くと待っている人がいるし難民キャンプではみんなを勇気づける事が出来たことからプロ意識が上がったと語った。世界の舞台で戦ってきたウェアにはサッカーには国境を超えて人々を前進させる力があると分かっている。ジョージ・ウェアは、自分は欧州で育ってきて組織的な社会を見てきたのでアフリカもそうなって欲しい、アフリカが搾取されてきたことをサッカーの力で止めたいと話した。アフリカに誇りを持つウェアは前回のワールドカップがアフリカで開催されたことを喜んでおり、サッカーの持つ魅力とパワーを世界中で分け合いたいと考えている。ジョージ・ウェアは、ワールドカップは本当の意味で世界の大会になったのでアフリカやアジアでもワールドカップを味わいたいと思っているし、カタールでの開催に期待していると話した。
ホルガー・オジェックは、自分にとっての最高のワールドカップはドイツ代表だった1990年のワールドカップだったと話した。ホルガー・オジェックフランツ・ベッケンバウアーのサポートをしてワールドカップ優勝を果たし、大きな目標を達成してほっとした、予選を含めて大会を勝ち抜くのは容易ではなかったと振り返った。当時は個々人としてもチームとしてもまとまりがよくローター・マテウスルディ・フェラーユルゲン・クリンスマンピエール・リトバルスキーらと一緒にやれたのは良い経験だった、本当にレベルが高くて優勝したときは最高の気分だったと語った。
2006年にセルビアから分離・独立したモンテネグロは2014年ワールドカップ予選では終盤まで出場権争いを行った。モンテネグロ第2の都市ニクシッチは一番人気のクラブであるスティエスカの本拠地で、ヨバン・ガルダシュビッチはスティエスカは歴史が長く1920年からプレーし続けている、旧ユーゴスラビア時代にはトップリーグで戦っていたこともあると話した。ユーゴスラビア分裂後はモンテネグロ屈指の強豪となっている。ユーゴスラビア時代にトップリーグに参戦していたモンテネグロのチームはスティエスカを含めて2チームで、 ヨバン・ガルダシュビッチは、現在は規模は小さくなったが熾烈なリーグでほとんどのチームが同レベルなので複数のチームが優勝争いをしていると話した。モンテネグロには金のかかる選手はいないので投資が叶えばどのチームにも優勝の可能性があり、実際に優勝チームも毎年のように変わっているという。
モンテネグロでは創設7年のリーグで5チームが優勝しスティエスカも昨シーズン優勝を果たした。スティエスカの会長は、初の優勝で一生忘れられない経験になった、選手、コーチングスタッフ、サポーターまで加わって大騒ぎだったと話した。モンテネグロは海外からスター選手を連れてくるよりも主力を売りに出すのが現状で、ユベントスミルコ・ヴチニッチのようなダイヤの原石を見つけよううと必死になっている。スティエスカの会長は、現在は250人以上の子どもがスティエスカで練習しており、ジュニアやユースなどのシステムが上手く機能している、ニクシッチは才能のある選手の宝庫なのでレベルの高い指導をすれば良い、そうすればスターは出てくると話した。チャンピオンズリーグは2開戦敗退で国内リーグも順調とは言えないが12チーム中7チームが優勝の可能性がある。スティエスカの監督は、首位ではないがそれほど離されてもいない、優勝するためにベストを尽くしてやることをやるだけだと話した。
現在コロンビアの国内リーグは多くの選手にとって通過点になっているがかつては世界最強のリーグだった。jose kaor dokuは、当時は世界選手権のような感じで、パラグアイ代表、ペルー代表なども所属しており、アルゼンチン系、ウルグアイ系、ブラジル系などのチームがあったと話した。どのチームにも海外のスター選手が所属し、ワールドカップのようなリーグだったという。コロンビアでプロリーグが発足したのは1948年でjose kaor dokuは初代王者となったサンタフェの一員だった。jose kaor dokuは、自分が来たときはコロンビアでプロリーグが始まったばかりだった、元々中盤だったがサンタフェでは別ポジションへのコンバートを求められ、最初の年は左ウインガーを努めたと話した。
コロンビアのサッカーリーグではリーグ主催者側がコロンビアサッカー協会と決別しFIFAとも袂を分かった。これにより各クラブは南米中を回り移籍金無しでスター選手と契約した。コロンビアサッカー史の専門家guillermo ruizはアルゼンチン代表アドルフォ・ペデルネラの移籍が黄金時代の始まりだとしている。guillermo ruizは、1949年6月にペデルネラがコロンビアに来たことは大事件で、コロンビアリーグはペデルネラが来る前と来た後に二分されるほどだと話した。海外から多くの選手を集めてコロンビアサッカーは有名になったが合法な移籍ではなかったので記録が残っていないという。ミジョナリオスは5年で4度の優勝を果たし、ヨーロッパツアーではレアル・マドリードも破ったことがあり、ヨーロッパのスター選手も加入し、jose kaor dokuは数少ないコロンビア人選手となった。jose kaor dokuは、待遇はかなり違って外国人選手が大金を稼ぐ一方でコロンビア人は少ししかもらえなかったが、サッカーが好きだったのでチームの為に身も心も捧げていたと話した。
コロンビアリーグは数シーズンに渡って世界の中心だったが突然の資金不足で消滅した。ディ・ステファノが53年にレアル・マドリードに移籍すると他の選手も去っていった。guillermo ruizは、50年にFIFAが介入してコロンビアサッカー再生のためにミーティングを行い、コロンビアに来ている外国人選手全てを54年10月までに返さなければいけないというリマ協定にサインさせられたと語った。大金で大勢の選手が来てエルドラドを作って去った後は金が残っておらず、プレーを続けるので精一杯のクラブだけが残った、エルドラドは何もプラス材料を残さず興行だったと話した。
ボスニア・ヘルツェゴビナがアウェーでリトアニアを1対0で破り初のワールドカップ出場。中国の天津で開かれていた東アジア競技大会北朝鮮が男女共に優勝。2002年ワールドカップセネガルをベスト8に導いたブルーノ・メツ監督がガンの闘病の末に亡くなった。享年59歳だった。
ドイツ・ベルリンには323もの橋があるがブリッジ・オブ・ハーツとして有名な橋は、子供たちの育成に貢献した各界の人を称える橋でサッカー界からも数人が名を連ねている。1970年台に最も恐れられたディフェンダーの1人ベルティ・フォクツは記念式典にはアゼルバイジャンから駆けつけ受賞記念タイルを受け取った。世界中の子供たちをサポートするブルーハーツ基金を支えている。ベルティ・フォクツは、両親を12歳で亡くしているので面倒を見てくれる人がいることがどれだけ大切か分かっている、両親を亡くした時に所属していた地元のサッカークラブがサポートしてくれて監督が友だちになってくれたので、今度は自分が子供たちにそれをもたらしたいと話した。また、子供たちに指導する機会に恵まれたことが楽しかった、このようなイベントはとても大事なので機会があったら協力したいと話した。
ベルティ・フォクツは70年台に強豪として名を馳せたボルシア・メンヒェングラートバッハの中心メンバーでリーグで5度の優勝を果たした。ベルティ・フォクツは、バイエルンとは良いライバル関係で代表で月に1度は一緒になっていた、若い頃から一緒にやってきたメンバーばかりでフランツ・ベッケンバウアーとはU-18時代からチームメイトだったと話した。ドイツにとって70年台はヨーロッパ選手権とワールドカップで優勝した黄金時代だった。フォクツは相手選手に噛み付くようなセンターバックとして恐れられていた。選手として最も思い出深いのは1974年のワールドカップだという。ベルティ・フォクツは、自国開催のワールドカップで負ける訳にはいかなかったと語った。3連勝したドイツはミュンヘンでの決勝でも本命と目されたオランダに2対1で勝利し、西ドイツは74年の世界王者となった。
現役を引退したベルティ・フォクツはスタッフとして代表入りし、90年のワールドカップの後ベッケンバウアーから監督を引き継いだ。ベルティ・フォクツは94年のアメリカ大会について、90年にベルリンの壁が崩壊し東ドイツの優秀な選手が加入したがその分摩擦も起きた、チームとしてのメンタリティも一つでなく94年の大会では運も良くなかったと話した。チームの主軸だったザマーが怪我で試合に出られず完敗した。ベルティ・フォクツは98年に代表監督を辞任するとすぐ海外での仕事をスタートさせ、クウェートスコットランド、ナイジェリア、現在はアゼルバイジャンの監督を務めている。フォクツは、小さいが質の良いスタジアムがあり練習時間が足りないという言い訳はできない、練習時間が十分かどうかは疑問だがと話した。また、選手はもっと激しい練習が必要で戦術面でも学ぶ必要がありピッチ外での準備も必要だ、サッカーでは自分だけ良ければそれで良いという考えは通用しないと語った。ベルティ・フォクツは自らの知名度を本当に大切に思っていることに使おうとしている。ベルティ・フォクツはブリッジ・オブ・ハーツの受賞について、特別な賞で、ワールドカップヨーロッパ選手権での優勝や年間最優秀選手賞も獲得したが、子供たちへの貢献で賞がもらえることはとても誇らしいと語った。
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チューリッヒ(スイス) リベリア FIFA モンロビアリベリア) 民主変革会議 ワールドカップ 1990年ワールドカップ ピエール・リトバルスキー ユルゲン・クリンスマン ルディ・フェラー ローター・マテウス ニクシッチ(モンテネグロモンテネグロ スティエスユーゴスラビア セルビア リトアニア ボスニア・ヘルツェゴビナ 天津(中国) 北朝鮮 2002年ワールドカップ ブルーノ・メツ監督 セネガル 東アジア競技大会 サンタフェ コロンビア アドルフォ・ペデルネラ ミジョナリオスFC ディ・ステファノ ベルリン(ドイツ) ボルシア・メンヒェングラートバッハ バイエルン 1974年ワールドカップ マティアス・ザマー 1994年ワールドカップ アゼルバイジャン
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/224000/index.html





放送日 2013年10月31日(木) 2:49〜 3:19
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FIFAフットボール・ムンディアル
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今回はギリシャの強豪チームを特集、常に笑顔を絶やさないブラジルの選手、そして記念すべき150周年記念の行事が考えられない場所で開催されたことなどを放送する。
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
オリンピアコスFCは、ギリシャ最大のクラブ。オリンピアコスは、1925年にアテネに隣接する港湾都市ピレウスで創設。リーグ優勝40回を含むギリシャタイトル70という記録は、他のクラブを大きく突き放している。チームキャプテンアヴラアム・パパドプーロスは、「常に最高のレベルで戦い、大きな成功を収めているので、ファンも満足しているはず。国外では私達がギリシャを代表して戦うことになるので、その名に恥じないようベストな状態で、戦わなければならない」と語った。昨シーズンは、5試合を残して17シーズンで15回目となるリーグ優勝を果たした。リーグ連覇に加え、カップ戦も優勝し2冠を達成。
ヨーロッパの大会でも常連だが、力を発揮せずにいる。チャンピオンズリーグなどでそれぞれ1度づつベスト8に入っただけ。監督は元スペイン代表のミチェルで、「常に勝利を目指している。ヨーロッパでもう少し結果を出したい」と語った。国外のプレーヤーも数多くプレーしてきたが、最近の話題はハビエル・サビオラの獲得。サビオラは2006年FIFA W杯にも出場し、バルセロナレアルマドリードなどのビッククラブでの経験を持つ。「名声のあるクラブだけに選手に対する要求は高かった。それはオリンピアコスでも同じ」と語った。現在ギリシャ金融危機。多くのクラブは財政難に陥り、スター選手は他のクラブに移っている。しかしオリンピアコスは会長のサポートのおかげで高い基準を維持し続けられている。今シーズンここまで負けなしで首位を行くオリンピアコス。ヨーロッパの大会を制覇するのは難しいが、今シーズン末に再び歓喜に沸く可能性は十分ある。
ミゲル・ペレス・クエスタは、「実際に覚えている最初のW杯は、映像で何度も観たもの。自宅にW杯のビデオがたくさんあり、よく観ていた。マラドーナデンマークのミカエルもよく覚えている。それに最近のスペインの快進撃も全て、私は心からサッカーを愛している。1番記憶に残っているのは、イングランド戦のマラドーナの神の手ゴールでしょうね」と語った。
ロナウジーニョは、「私が生まれたブラジル南部の人はみんなガウショ。代表メンバーに選ばれた時、チームには既にロナウドと呼ばれる選手がいた。そこで私はロナウジーニョ・ガウショと呼ばれるようになった」と語った。“小さなロナウド”を意味するロナウジーニョという呼び方は、今ではもう適切でないように思われるが、サッカーを愛するスーパースターに変わりはない。子供の頃から並外れた才能をのぞかせていたロナウジーニョは、13歳の時には学校の友達とプレーし、1試合で23ゴール決めたこともあった。「子供のころは自分がサッカーしていることばかり想像していた。私は常にアイドルである兄の後を常に追いかけていた。プロサッカー選手になった時、私の夢は実現した」と語った。
97年エジプトで開催されたFIFA U-17W杯のメンバーに招集され、素晴らしい活躍を見せた。ブラジルの活躍に貢献し、グレーミオと初めてのプロ契約を結ぶ。メキシコで開催された99年FIFA コンフェデレーションズカップでは、フル代表として活躍、ブラジル準優勝の原動力となる大会得点王、最優秀選手に選ばれた。2001年にフランス・パリサンジェルマンに移籍し、そのあとバルセロナで5シーズンプレーし、大活躍。イタリアACミランでもプレーした。この間、ブラジル代表キャプテンとして、2005年FIFA コンフェデレーションズカップ優勝も果たしている。本大会では予選と同じチームと思えない強さを発揮したブラジルは、準々決勝のイングランド戦で決めた決勝ゴールを含む5試合で2ゴールの活躍だった。ブラジルは、トルコやドイツを敗り、5度目の優勝を果たした。2004・2005年ロナウジーニョは、FIFA最優秀選手に2年連続で選ばれた。
2006年は、バルセロナチャンピオンズリーグ優勝を果たし、ドイツW杯に臨んだ。しかしフランスに敗れ、まさかの準々決勝敗退した。ブラジル代表は、2010年南アフリカ大会も 同じ準々決勝敗退だったが、この時ロナウジーニョは、選ばれていなかった。2014年大会を目前に控え、ロナウジーニョの思いは、過去2回の雪辱を果たし、ブラジルで世界一に返り咲くこと。「楽しくプレーすること、ブラジルの人にハッピーになってもらうことだけを考えて戦いたい」と語った。現在はアトレチコ・ミネイロでプレーし、次のW杯でプレーするかはわからないが、笑顔でプレーする姿でこれからもファンを魅了するだろう。
FIFAの中でオセアニアのサッカーメンバーは11。6つある連盟の中で最小で、他のスポーツのほうが盛んだったが最近はサッカーを中継でテレビ放映するなど変化が見られている。OFCはオセアニア全域をカバーするスポーツチャンネルを作りたいと考えていると話した。
86年のFIFAワールドカップでモロッコを決勝トーナメントに導いたホセ・ファリア監督が80歳で亡くなった。イヴァンペテフがレフスキーソフィアの監督就任会見でファンから抗議され、就任から1日で辞任を表明した。ジブラルタル1部リーグの新シーズンがスタートした。
19世紀半ば、サッカーにはまだ共通ルールがなくあまりにも多種多様なため他のクラブと試合をすることが不可能だったが、1863年10月26日にサッカーのルールを統一するための集まりが開かれ6日間に渡るミーティングが行われた。Civil Service F.C.は唯一現存している創設メンバーのクラブ。
Civil Service F.C. のライバルは1875年に創立されたPolytechnic F.C.で、この2チームが初めて戦ったのは約120年前にもなる。各チームのメンバーらがサッカーについて語った。
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オリンピアコスFC マラドーナ ロナウジーニョ ミゲル・ペレス・クエスタ ロナウド・デ・アシス・モレイラ OFC オセアニア Civil Service F.C. Polytechnic F.C.
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/222292/index.html





放送日 2013年10月24日(木) 3:04〜 3:34
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
紹介アイテム
FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
今回はコロンビア代表をクローズアップ、監督としても栄光を掴んだデンマークのスターとは。FIFAビーチサッカーワールドカップの総集編もお届けする。
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コロンビア デンマーク
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
久しぶりに世界最高峰の舞台に出場を決めたコロムビア、1990年代のカルロス・バルデラマを中心とした黄金世代で3大会連続本大会へ出場し、現在は新世代が台頭している。ダビド・オスピナが1990年代のチームへの憧れと、今の自分たちのチームについて語った。
監督のホセ・ペケルマンはチームは正しい方向に進んでいると思う、それはとてもラッキーな事で結果も残せていると話した。最年長のキーパー、ファリド・モンドラゴンはこれまでの経験から意見や発言も自分の仕事だと思っていると話した。ダビド・オスピナも監督やファリド・モンドラゴンについて心強いと話した。現在のコロムビアは未知数でダークホースと目されている。
ジョバンニ・エスピノサが背番号17番を選んだ理由は、彼がデビューした際にチームからもらったもので、それ以来どこへ行っても同じ番号を付けさせてもらっているのだそう、自分の中では特別で大好きな番号だと話した。
スター選手として一時代を築いたミカエル・ラウドルップ、彼はデンマークに幾つもの輝きをもたらした。現在は監督としてウェールズで過ごしている。イギリス暮らしは初めてで、ここに来てしばらく経つがとてもいい感じだと話した。
攻撃的ミッドフィルダーとして1980年代に活躍し、1998年34歳の時にワールドカップで代表に復帰し、ナイジェリアと戦った当時について語った。2002年に指導者に転身し、2011年に新天地でスウォンジの監督となり、早速クラブ史上初のタイトルをもたらした。目の前に集中することがこの世界の教訓だと話した。
タヒチで行われたFIFAビーチサッカーワールドカップ。南太平洋の島を舞台にするのも史上初めて。予選を勝ち抜いた16ヵ国が、世界各地から集結。芝の上のルールとほぼ同じだが、時間は12分間の3ピリオド制。延長線やPK戦もあるため引き分けはない。砂の上では、何が起こるかわからないので、 ボールを地面から浮かすことが重要。前回王者のロシアは、日本との初戦では4-1でロシアの勝利。グループ首位で日本と共に決勝トーナメントへ。伝統国ブラジルは、2年前のイタリア大会でロシアに敗れ、5連覇を逃している。リベンジを誓い3連勝でグループリーグを突破した。ホスト国のタヒチは歓迎と挑戦の踊りを試合前に舞い、UAEアメリカを敗り、準々決勝に進み、次はアルゼンチンとの勝負。前回王者のロシアはイランと対戦。
ロシアは、イランに苦しめられるが6-5で競り勝った。ブラジルは準々決勝で苦戦し、日本に互角の戦いに持ち込まれたが、ブラジルがベスト4へ。スペインはエルサルバドルに2-1で勝利。タヒチとアルゼンチンは、アルゼンチンのレッドカードがあったが、タヒチが6-1で初めてベスト4へ。準決勝では、タヒチとロシアはロシアが5-3で逆転勝利。ブラジルとスペインは、スペインが勝利。決勝で、ロシアとスペインが戦い、ロシアが2連覇した。試合後にDmitrii Shishinやnicoが結果について語った映像が流れた。
広州恒大が、中国勢としては15年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ決勝へ。準決勝では、柏レイソルを2試合合計スコア8-1と圧倒した。FIFA U-17W杯の初代王者である北朝鮮は、連覇を狙う来年のコスタリカ大会の出場権を日本・中国と共に獲得した。アイスランドリーグでは、KRレイキャビクがリーグ新記録の26度目の優勝を果たしている。ディフェンディングチャンピオンだったFHに5ポイント差をつけての優勝。
かつてプロサッカー選手だったレオン・マッケンジークリスタルパレスノリッジではイングランドプレミアリーグも経験した。しかしキャリアの終盤にケガが続きうつ状態になったが、人には言えず悩んでいたという。2009年にはロベルト・エンケが自殺。2010年にはレオン・マッケンジーも自殺未遂をしたが、一命をとりとめ、それ以降クリントン・マッケンジーは対処の仕方を学んでいるという。
その後、レオン・マッケンジーはボクシングに転向。今年はじめスーパーミドル級でプロデビュー。ジョン・メイソンとのデビュー戦はロンドンのヨーク・ホールで行われ、2Rレフリーストップで勝利をおさめた。
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コロムビア カルロス・バルデラマ ダビド・オスピナ ホセ・ペケルマン ファリド・モンドラゴン ジョバンニ・エスピノミカエル・ラウドルップ スウォンジ タヒチ FIFAビーチサッカーワールドカップ クリスタルパレス ノリッジ ロベルト・エンケ ヨーク・ホール ロンドン(イギリス) 広州恒大 AFCチャンピオンズリーグ 柏レイソル FIFA U-17W杯 KRレイキャヴィーク
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/220588/index.html



放送日 2013年10月17日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
紹介アイテム
FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像と放送内容紹介。元アルゼンチン代表キャプテンがワールドカップの思い出を語る。サッカーチームまで作ってしまったアフリカのチャリティー団体と全く新しいビューティフルゲームを紹介。
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アルゼンチン
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
カタールのサッカー特集。アルカスは2006年に開局したスポーツ専門チャンネルで、国内スポーツの振興に一役買っている。マジード・ブーゲッラはサッカーのレベルはすごく改善されてまるでヨーロッパでプレイしているようと話した。ナム・テヒは今では100%カタールを理解しているつもりと話した。
アシュリー・ウィリアムズが背番号6を選んだ理由は、マイアミ・ヒートレブロン・ジェームズが同じ背番号のため。
アルゼンチンの特集。元アルゼンチン代表キャプテンのダニエル・パサレラは当時24歳だった。当時アルゼンチンを率いたのはセサール・ルイス・メノッティ。アルゼンチンはワールドカップで決勝進出を果たして見事優勝した。
その大会からちょうど20年後、今度は準々決勝でアルゼンチンがオランダと激突した。結果オランダが2-1で勝利した。監督としてワールドカップを優勝するというダニエル・パサレラの夢は潰えた。
ザンビアのサッカーの特集。アフリカオンザボールはサッカーを通して地域社会と個人の発展を促してきた。プロジェクトマネージャーであるケルビン・チャスアカは希望を持つことができれば人は自分を信じられるようになると話した。マブト・エンベウエはアフリカオンザボールがなかったら今頃どうなっているかわかりませんと話した。
U-17女子南米選手権準優勝のコロンビアが、ベネズエラパラグアイとともにコスタリカで開催される2014年U-17FIFAワールドカップ女子に出場を決めている。
チュニジアのクラブがコンフェデレーションズカップではスタクシャンとエトワールサヘル、アフリカチャンピオンズリーグではエスペランス南アフリカオーランド・パイレーツと対戦する。
AFCプレンデンツカップトルクメニスタンのバルカンが決勝でパキスタンのハーンリサーチラボラトリーを1-0で下し初優勝した。
フットゴルフの特集。イングランド北東部にあるブリドリントンでフットゴルフの大会が行われた。イギリスフットゴルフ協会会長のマイク・オコナーがフットゴルフのルールについて説明した。通常のゴルフプレイヤーのピーター・ウィルキンソンはお互い悪い感情もなくおプレーしていると話した。
フットゴルフの特集。ジュリアン・バベルはあらゆるタイプのショットを撃つ必要があるとコメントした。サイモン・ベッツエルが見事チャンピオンに輝いた。ジュリアン・バベルははじめてこのスポーツを見た人は大抵冗談だと思うが、でも私達は真剣ですと話した。
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アルカス カタールジード・ブーゲッラ ナム・テヒ アシュリー・ウィリアムズ マイアミ・ヒート レブロン・ジェームズ ダニエル・パサレラ セサール・ルイス・メノッティ アルゼンチン FIFAワールドカップ オランダ ザンビア アフリカ・オン・ザ・ボール ケルビン・チャスアカ マブト・エンベウエ コロンビア ベネズエラ パラグアイ コスタリカ チュニジア CAF コンフェデレーションズカップ CSスファクシャン アフリカチャンピオンズリーグ エトワール・サヘル エスペランス オーランド・パイレーツFC AFCプレジデンツカップ トルクメニスタン パキスタン ハーン・リサーチ・ラボラトリー フットゴルフ マイク・オコナー イギリスフットゴルフ協会 ブリドリントン(イギリス) ピーター・ウィルキンソン ジュリアン・バベル サイモン・ベッツエル FCバルカン
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアルの次回予告。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/218949/index.html



放送日 2013年10月10日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
紹介アイテム
FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
「オーストラリア代表の特集」など、今回の放送トピックをダイジェストで紹介。
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
オーストラリア代表のキャプテンは、ルーカス・ニール。彼は、印象に残るという2006年のワールドカップについて「日本戦は残り10分まで0-1で負けていたところを、3-1で勝った。そのあとブラジルに挑戦して手応えを掴んだ」などと話した。オーストラリア代表を率いるホルガー・オジェック監督は、オーストラリア代表について「気に入ってるのは選手たちの姿勢です。オーストラリアの選手とは仕事がやりやすい」などと話した。
オーストラリア代表はブラジリアで、ブラジル代表との親善試合を行った。予想されたとおり、オーストラリアには厳しいゲーム展開。結果、6-0という大敗だった。とはいえ、自分たちの立ち位置と課題の多さをしる重要な機会になった。
FIFAランキングが紹介された。
FIFAのゴールプロジェクトのサポートもあり、この10年で大きく進歩したモーリシャスのサッカーを紹介。モーリシャスサッカー協会会長はFIFAと協力し、今年5月からゴールプロジェクトの第4弾をスタートさせている。FIFAから提供された資金で、現在、人工芝のスタジアムの建設などをしている。
マルコ・ヴェッラッティが、2006年ワールドカップの思い出を語った。まだ小さかったマルコ・ヴェッラッティは、まだサッカーを見始めたばかりだったが、イタリアが優勝したときは最高の瞬間だったという。
身長170cmもないプレイヤー、マテュー・ヴァルブエナが紹介された。マテューはオリンピック・マルセイユ所属で、フランス代表。彼は自分の身長について「身長の低さを自分にとっての財産に変えた。僕にとってはマイナス面よりもプラス面のほうが多かった」などと話した。
ガーナ代表の背番号「22」、リチャード・キングソンが自分の背番号について「この番号を初めてつけたのは、アフリカネーションズカップのとき。誰も取らなかった22番を、一番年下だった自分がつけることになった」などと思い出を語った。
イングランドで行われた「ダノンネーションズカップ2013」が紹介された。この大会は子供達のサッカーの世界大会で、参加資格があるのは10〜12歳の男女。主催者であるフランク・リブーは「ベースになっているのはキッズトーナメントです」などと説明した。ピッチの脇には、アンバサダーであるジネディーヌ・ジダン氏の姿も見られた。決勝はフランスVSブラジル。両チームともゴールをあげられず、PK戦に突入。勝ったのはフランスだった。
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ルーカス・ニール ホルガー・オジェック FIFAランキング FIFA モーリシャス FIFAゴールプロジェクト 2006年ワールドカップ オリンピック・マルセイユ ダノンネーションズカップ
エンディングエンディング (その他)
エンディング映像。
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/217255/index.html



放送日 2013年10月3日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
紹介アイテム
FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
今回は、ワールドカップの舞台に上がりたいブラジルの悪名高きエントリアを紹介する、エクアドルにとって最高のワールドカップを振り返る。そしてジンバブエ代表チームの今を紹介する。
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
悪役のイメージを払拭するのは難しいかもしれない、もらったレッドカードの数は数え切れない、しかしルイス・ファビアーノが恐るべきストライカーなのは疑いのない事実。これまで様々なクラブでプレーしてきた。1番長く在籍したのはセビージャで、スペインでのプレーは光栄でとてもワクワクしたとファビアーノは話した。
南アフリカで開催された2009年のコンフェデレーションズカップでは5ゴールをあげ大会得点王になりブラジルの優勝に大きく貢献した。決勝でアメリカと対戦し、アメリカの快進撃にはみんな驚かされ厳しい試合だったが自分たちには自信があったとファビアーノは話した。
色々な移籍の噂があったが現在は古巣サンパウロFCに在籍し、長い間ヨーロッパでプレーしてきたがブラジルに戻ってホッとしていると話し、ずっと応援してきたチームなのでユニフォームを着ると誇らしい気持ちになるのだそう。現役のあいだにまた代表チームでプレーする夢は持ち続けていると話した。
ステファン・ケシが、ブルガリア戦でのナイジェリアはチームとして素晴らしかった、1994年のナイジェリアは過去最高のチームだったと当時を語った。あの時のワールドカップの試合は自分たちにとっても最高の試合だったと話した。
2014年ブラジルW杯に近づいているエクアドル。実現すればここ4大会で、3度目の出場となる。2000年にエクアドル代表デビューを果たして以来、代表戦90試合に出場しているジョバンニ・エスピノーサ。2002年W杯の時は、メンバーだったが出場機会はなかった。4年後のドイツ大会では、エスピノーサは中心的な存在だった。「人生最高の気分だった、個人的にW杯でプレー出来たこと、自分の国を代表してプレー出来たことは本当に素晴らしい経験だった」と語った。2006年に代表キャプテンとのディフェンスコンビは最初に2試合を無失点に抑え、その活躍が認められ、FIFAオールスターチームの候補に挙がった。2010年大会は予選で敗退し、3大会連続出場は出来なかったエクアドルだが、ブラジル大会出場の可能性は十分にある。 37歳のエスピノーサは次のW杯に出場することはないが、多くの財産を残した。「チームには2006年当時のメンバーが何人かいる、そのベテランと若手の融合こそがW杯出場に向けた原動力になるはず」と語った。
サウジアラビアは、前回大会に引き続き2014年W杯出場も叶わなかった。サウジサッカーのピークは90年代の半ばで94年W杯では決勝トーナメント進出を果たし、96年にはアジアチャンピオンに輝いた。優秀な選手が揃っていたが、なかでもストライカーのサーミー・アル=ジャバーはチームの中心的な存在だった。92〜2006年まで常に代表メンバーだったアル=ジャバー。アジア人選手としては初となる2大会連続ゴールも決めている。「夢のためにたくさんのことを犠牲にしてきた、だからこそ今の私がある」と語った。アル・ヒラルの8度にわたるリーグ優勝と、2度のチャンピオンズリーグ優勝の原動力ともなった。2000年にウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズに移籍し、サウジアラビアの選手として初めてイングランドでプレーし、期待通りのプレーは出来なかったが貴重な経験となった。「サウジアラビアにはないものを見ることが出来、全てが初めての経験だった」と語った。現在は、アル・ヒラルで監督を務め、サウジのクラブはACLでも競合といえるが、代表チームは鳴かず飛ばずで思い切った改革が必要となっている。
2010年FIFAW杯の準優勝国・オランダが、アンドラの2-0で下し、2試合を残して2014年W杯出場を決めた。イタリアもチェコに2-1で逆転勝ちして出場を決めている。アメリカはメキシコに2-0で勝ち、コスタリカとともに本大会出場が決定。アルゼンチンはパラグアイに5-2で勝ち、南米1番乗りでW杯出場権を獲得している。
カトマンズで行われた南アジア選手権決勝は、アフガニスタンがインドを2-0で下して優勝。アフガニスタンが国際大会で優勝するのは初めて。
ジンバブエは、ここ3年目で監督が7人変わっている。klaus dieter pagelsは、「ジンバブエサッカー界が抱える最大の問題は、監督に即結果を出すことを求めること。まったく時間の猶予を与えてくれない」と語った。2012年初頭、ジンバブエサッカー協会を揺るがした八百長スキャンダル。2007〜2009年の間に行われた試合に関して、賄賂を受け取った罪で15名の選手と元協会最高責任者ら関係者が永久追放となった。このスキャンダルはチームに大きな影響を及ぼし、早急なチームの立て直しもむなしく、W杯予選では勝ち点2しか獲得出来なかった。ocean mushareは、「監督は、自分たちのプレーに自信が持てるよう指導してくれている。おかげでチームは大きく成長出来た」と語った。ジンバブエサッカー協会が抱える財政上の問題で、チームは試合に向けた準備だけでなく、遠征費用さえ捻出出来ない状況。W杯予選のギニア戦では、資金不足と航空チケットの予約ミスにより、12名の選手しかギニアに行くことが出来ず、0-1で敗れた。南部アフリカ選手権の快進撃は、希望の火を灯した。2013年大会は、通算5度目のタイトルにあと1歩のところまで迫ったが、決勝でザンビアに敗れた。そしてpagelsは監督を解任され、新監督の任務は2015年アフリカネイションズカップ の出場。十分な時間を与えられず、任務を果たせなかったpagelsだが、ジンバブエサッカーの未来は明るいと話した。
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サンパウロFC セビージャFC FIFAコンフェデレーションズカップ ナイジェリア ワールドカップ エクアドル ブラジルW杯 サウジアラビア アル・ヒラル ウォルヴァーハンプトン・ワンダラーズ 2014年W杯 南アジアサッカー選手権 アフガニスタン ジンバブエ 賄賂
エンディングエンディング (その他)
FIFAフットボール・ムンディアル」の次回予告とエンディング映像。
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FIFAフットボール・ムンディアル
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/215622/index.html



放送日 2013年9月26日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
紹介アイテム
FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
ゴールを量産するスペイン人フォファードが登場、FIFAビーチサッカーワールドカップホスト国のタヒチの話題、トルコがはじめてFIFAワールドカップに出場した60年前にプレイバックなど、放送内容の紹介。
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FIFAワールドカップ FIFAビーチサッカーワールドカップ
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
2012年の夏に200万ポンドでラーヨ・バジェカーノからスウォンジ・シティへと移籍したmichuに注目。イングランドでの最初のシーズンで、michuほど成功した選手はあまりいない。ほとんど無名だったスペイン人であるmichuはいきなり人気者となった。michu本人は、「プレミアリーグはずっと好きだった。財政や組織が充実しているおかげで、ナンバーワンではなくても世界屈指のリーグだと思います。ずっと挑戦したいリーグだった」と語った。
チームは、昇格を繰り返して2011年にプレーオフでレディングに勝ち、念願のプレミアリーグ昇格を果たした。そんなチームについてmichuは「ここでは皆が家族。とても小さなクラブなので、移籍してきたメンバーもすぐ馴染める」と語った。またチームを、自身が最初に所属したスペインのレアル・オビエドに似ていると話した。
リーガ・エスパニョーラでもっとも点を獲れるMFはプレミアリーグでも進化を発揮する。開幕戦でmichuはいきなりゴールネットを揺らした。
ROBERT PIRESがW杯での一番の思い出を語った。2つあり、1つ目はパラグアイ戦でローラン・ブランが決めたゴール、2つ目はディディエ・デシャンがW杯を掲げたときだと話した。
第7回2013年FIFAビーチサッカーW杯の舞台はタヒチフランス領ポリネシアの首都パペーテFIFA主催の大会で開催都市になるのは始めてのこと。開催は9月18日〜28日まで。
ホスト国にふさわしい活躍を見せようと、選手であるTeva Zaveroniもチームメイトも準備に余念がない。厳しいスケジュールで練習や親善試合をこなした。naea bennettも「僕らはプロではない。けれどやる気とビーチサッカーへの愛でおぎなっている。それに、自分の国を背負うのが誇らしくもある」と語った。
発展を続けるエクアドルサッカーは、結果の出なかった数十年間を受けて代表は過去3大会で2度W杯へ出場。首都キトには新しいテクニカルセンターを作ろうという動きがあり、建築家のRamiro Padilla cevallosは「私達の眼には、ボールプロジェクトはFIFAによって下された最も素晴らしく正しい決断のひとつのように映っている」と語った。このボールプロジェクトは、次世代のスターを育てることを目的とし、また運営や練習、ユースサッカー、インフラなどあらゆるもののレベルアップも含まれている。
ザンビアはガーナに1-2で破れブラジルワールドカップアフリカ最終予選への進出を逃した。カーボベルデは出場停止選手を出場させペナルティで0-3で負け、チュニジアが最終戦にのぞむ。
FIFAフットサルワールドカップの開催国をつとめたタイが快挙。タイのチョンブリ・ブルーウェーブがイランのサナエ・ギティ・パサンドをやぶり、AFCクラブ選手権を制した。
イランではテヘランでの強豪対決に話題が集中したが、エステグラルペルセポリスダービーマッチは0-0の引き分けとなった。
2002年のFIFAワールドカップで3位となったトルコ、そのトルコが初出場した1954年スイス大会の生き字引であるGuat MamatとHalit Kivancにインタビュー。2人は本大会出場はみんなが望んでいたが何が起こるか不安を抱いていたのも事実、しかしその喜びは伝えようがなかった、トルコは期待されていなかったがみんなは試合を見に来てくれたなどと語った。トルコはドイツに破れ、韓国に勝利、プレーオフで再び対戦したドイツに破れ敗退した。
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ラーヨ・バジェカーノ スウォンジ・シティ レディング レアル・オビエド ブラジルワールドカップアフリカ最終予選 FIFAフットサルワールドカップ ローラン・ブラン AFCクラブ選手権 ディディエ・デシャン チョンブリ・ブルーウェーブ サナエ テヘラン(イラン) エステグラル ペルセポリス 第7回2013年FIFAビーチサッカーW杯 パペーテ(フランス) FIFAワールドカップ トルコ エクアドル FIFA
エンディングエンディング (その他)
次回放送内容を告知し、エンディング。
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FIFAフットボール・ムンディアル
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/213990/index.html



放送日 2013年9月19日(木) 2:34〜 3:04
放送局 毎日放送

番組概要
出演者
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FIFAフットボール・ムンディアル
オープニングオープニング (その他)
オープニング映像。
ニューヨークで新たなスタートを切った元スペイン代表ミッドフィルダーに注目など、放送内容の紹介。
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ペレ ニューヨーク(アメリカ) 中国
FIFAフットボール・ムンディアルFIFAフットボール・ムンディアル (バラエティ/情報)
実力・人気ナンバーワンだったニューヨーク・コスモスが30年ぶりに復活、最近ではマルコス・セナを獲得した。そのマルコス・セナにインタビュー。マルコス・セナビジャレアルに入団するとチームが上向きに、その後ワールドカップにスペイン代表として出場、ヨーロッパ選手権優勝に貢献した。
そして37歳のマルコス・セナは新天地のニューヨーク・コスモスにやってきた。マルコス・セナは最初の試合であんなに多くの人が来てくれるとは思わなかった、アメリカの何もかもが好きですなどと語った。
ディエゴ・ルガーノが一番好きだという1950年ワールドカップについて語った。ディエゴ・ルガーノウルグアイにとってもブラジルにとっても大きな大会だった、ウルグアイは実質何も準備ができずに試合にのぞんだなどと語った。
これまで多くのトロフィーを獲得してきたレネ・トレチョクにインタビュー。レネ・トレチョクは数多くのクラブでプレイ、中でも黄金時代と言えるのが90年台にドルトムントでプレイしていた時期。レネ・トレチョクはその後、1シーズン別のチームでプレイした後にヘルタ・ベルリンへ。
レネ・トレチョクはヘルタ・ベルリンでプレイ後、ヘルタ・ベルリンのU19の監督、そしてトップチームの暫定監督に就任した。そしてレネ・トレチョクは常に社会的活動に貢献、現在もドイツのストリートリーグの会長として若者にサッカーをすすめている。レネ・トレチョクはその活動の一部について説明、ツアーは大成功で世間の評判もよくもっと発展させ多くの子どもたちが参加できるようにしていきたいなどと語った。
ブラジルのトレス・コラソンエスはペレの生誕の地。カーザペレプロジェクトのディレクターであるfernando ortizにインタビュー。トレス・コラソンエスはペレの生家や銅像がある事、ペレの生家がどの様な外観だったかなどを調査しペレの母親に聞き込み生家を再現した、出来上がった記念にペレ本人も出席し感動していた事などを語った。
ヨーロッパ夏の移籍事情が終了、レアル・マドリードは史上最高額でガレス・ベイルと6年契約を結んだ。
U17女子サッカー王者のフランスがU19のカテゴリーでイングランドをおさえヨーロッパチャンピオンに輝いた。
ワールドカップ優勝経験ももつジウマールサンパウロで死去した。
プロサッカーリーグが発足した94年当時の上海のサッカーについて范志毅へインタビュー。范志毅は当時の上海の生活水準は低かった、やることも限られていたがサッカー選手は不便を感じなかった、95年程からポジションが代わりストライカーとしての才能があるのかもしれないと思ったなどと語った。
范志毅は92年に代表入りを果たすと10年以上にわたって代表戦を戦った。范志毅はあの時代の選手たちは素晴らしかった、私達より後に出てきた選手達は私達を見習っているが、残念ながら2003年以降中国サッカーは下降線をたどっているなどと話した。そして范志毅はイギリスへ渡った事、文化の違いに驚いたなどと話した。
現在は上海で暮らしている范志毅は、中国の若者に何かを教えたいと思った、様々なチャリティーマッチなどを企画し、若者達のサッカーの上達に力を貸したいなどと語った。
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ニューヨーク・コスモス ビジャレアル ワールドカップ ヨーロッパ選手権 1950年ワールドカップ ドルトムント ヘルタ・ベルリン トレス・コラソンエス(ブラジル) ペレ ガレス・ベイル レアル・マドリード ジウマール サンパウロ(ブラジル) 上海(中国) イギリス
エンディングエンディング (その他)
エンディング映像。
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FUTBOL MUNDIAL #513〜561
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FUTBOL MUNDIAL 561〜579
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FUTBOL MUNDIAL #580〜589
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FUTBOL MUNDIAL #590〜599
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FUTBOL MUNDIAL #600〜609
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FUTBOL MUNDIAL #660〜669
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FUTBOL MUNDIAL #670〜679
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FUTBOL MUNDIAL #680〜689
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FUTBOL MUNDIAL #690〜699
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FUTBOL MUNDIAL #700〜709
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FUTBOL MUNDIAL #710〜719
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FUTBOL MUNDIAL #720〜729
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FUTBOL MUNDIAL #730〜739
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FUTBOL MUNDIAL #740〜749
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FUTBOL MUNDIAL #750〜759
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FUTBOL MUNDIAL #760〜769
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FUTBOL MUNDIAL #770〜779
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FUTBOL MUNDIAL #780〜789
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FUTBOL MUNDIAL #799●特集1:FCルビン・カザン
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FIFA フットボール・ムンディアル2011年7月から2011年12月まで
http://d.hatena.ne.jp/condeuma/20130421


FIFA フットボール・ムンディアル2012年1月から2012年6月まで
http://d.hatena.ne.jp/condeuma/20130422


FIFA フットボール・ムンディアル2012年7月から2012年11月まで
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FIFA フットボール・ムンディアル2012年12月から2013年4月まで
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FIFA フットボール・ムンディアル2013年4月から2013年7月まで
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