NASLリーグ

ストライカーJリーグ元年総集編

アメリカサッカー界の栄華
68年に日本代表が、メキシコオリンピックにおける銅メダル獲得という、世界のひのき舞台で、唯一脚光を浴びたその同じ年、アメリカではNASL(北米サッカーリーグ)が始まった。
実は、アメリカでのプロサッカーの歴史が始まるのは、33年のことなのだけど、基盤脆弱運営貧弱。さらには、実力停滞世界舞台孤立。おまけに、米式蹴球野球籠球人気絶大ということで、さっぱりわやだったのである。
ところが、66年のワールドカップイングランド大会の、世界的盛況を見るにつけて再燃。
まず、米国サッカー協会がNAL(北米リーグ)を計画。さらに、その動向を横目で見ていたセントルイスの大金持ちハーマンが、その財力にものをいわせ、NALに対抗する形で別の団体NPSL(ナショナルプロサッカーリーグ)を発足させた。
しかし、一つの国に2つのプロリーグなど許されるはずもなく、そこで2つの団体が68年に、NASLとして統一されたというわけなのである。
これで基盤中肉運営中背と、一歩前進したものの、依然、実力停滞世界舞台孤立、米式蹴球野球籠球人気絶大という状況に、変化はなかったのであった。
そこにペレが現れた。75年のことだった。
その前年に、しっかり引退試合まで終えちゃったブラジルの英雄ペレに、しかもブラジルの大統領が、ブラジル代表のカムバックを強く要請したにもかかわらず、
「あっしにはかかわりねぇ〜こってス」
と軽くあしらったペレに、世界的大企業ワーナーブラザーズが母体とはいえ、世界的にもまったく無名のチーム、ニューヨーク・コスモスが大胆にも触手を伸ばしたのだ。
当初は当然、名声損傷断固拒否の姿勢を貫いていたのだけれど、突然、
「入ってもいいかなぁ」
と、態度を軟化し始めたのである。
ペレがコスモス側に提示した条件は、
1、豪華ヨット
2、運転手付き自動車
3、ジェット機一機
4、ロックフェラービルの1フロア
などなど計11項目。これに700万ドル(当時のレートで役21億円)の契約金。
それでも、なお契約が難航した場合は、NASL側が当時のアメリカ大統領のフォードに説得してもらうよう、依頼するつもりだったという。
こうして神様ペレは、新天地アメリカでカムバックを果たすことになるわけだけれど、一見法外とも思えるこれらの条件を飲んでまで、ペレをアメリカのプロリーグに呼んだことは、結果的に見れば、大成功だった。とても短く、はかない真夏の夜の夢ではあったけれど・・・。
ペレの後を追ってくるかのように、ベッケンバウアー、クライフ、リベリーノジョージ・ベスト・・・と、この当時考えられ得る、世界中のスーパースターが続々と新天地にやってきた。
そんなスーパースターたちの饗宴に観客は酔いしれ、世界中のマスコミがアメリカのプロサッカーリーグに、注目し始めるようになる。
77年8月14日、コスモス対FTローダデル・ストライカーズ戦で、7万7691人の観客数を記録。1試合の平均観客動員数3万6000人。77年にペレが去ったあとも、しばらくは饗宴が続いていた。
しかし、ベッケンバウアーが去り、クライフが去ると静かに終焉がやってきた。
祭りは終わったのだ・・・・・。



アメリカそして韓国は・・・・
それと相前後するころ、韓国に一つのプロチームが誕生する。
その翌年にもプロチームができ、そこにアマの3チームを加えて、83年にスーパーリーグがスタートした。
1試合の平均観客動員数は2万人。さらにプロ化は進み、86年に計5チームの完全プロリーグとなる。
プロ化以降の韓国代表は、3連続ワールドカップ出場と、”アジア最強”の名をほしいままにしていた。
にもかかわらず、90年には観客動員数は、1試合平均5000人と激減し、最近ではプロ野球に人気が奪われていると聞く。
さてさて、メキシコの成功以来、すっかり極寒の冬の時代を耐え忍んできた日本のサッカー関係者が、このときのアメリカや韓国でのプロ化の状況を、羨ましげに指を咥えながらみていただろうことは、容易に想像できるのだ。
ところで、北米リーグはニューヨーク・コスモス、ワシントン・ディプロマッツ、ロサンゼルス・アズテックスといったチーム名が示すように、いわゆる地域に根ざしたってやつであり、サドンデス方式を早くから取り入れ、PKの代わりに”シュートアウト”といった独自のルールを作り、どの試合も引き分けをなくしてエキサイティングにした。
おまけに、世界中のスーパースターを集めた”夢のチーム”であったにもかかわらず、なぜ成功しなかったんだろうか?これには、2つの大きな要因があったように思う。
1つは、FIFAも断固不可であるはずの”人口芝”を認めたこと。
各チームが、サッカー専用スタジアムを作るには、すさまじい費用がかかるため、同じ都市にあるアメフトや野球場(実際に、カリフォルニアのアナハイム・スタジアムをはじめ、野球場をホームグラウンドにしているチームがいくつかあったのあだ)を、ホームグラウンドにせざるをえない事情があったようだが、これは人工芝でプレーしたことのある人にはわかるだろうけど、”天然芝”とは明らかに疲労感が違うし、ケガも誘発しがちで、選手側からすれば、どうしても消極的になりがちである。
もう一つは、”夢のチーム”というのが、実は大きな落とし穴であったようだ。
80年のコスモスのメンバーを見てみると、ドイツ人のベッケンバウアー、イタリア人のキナーリア、オランダ人のニースケンスとレイスベルヘン、ベルギー人のバンデルエルスト、パラグアイ人のロメロ、ユーゴ人のボギチェビッチ、ブラジル人のカルロス・アルベルトとオスカー・・・と、このネームバリューのわかる人にとって、これがどんなにすごい”ドリームチーム”であるかわかるだろう。あと、当時のチームにはほとんど無名のアメリカ人が1人か2人、申し訳程度に加わるだけであった。
これは、ほかのチームもほとんど同じ状況で、”ドリームチーム”を作るために、外国人枠を取っ払ったので、”レベルの低いアメリカ人のプレーヤーは不要である”という、アメリカ人のためのリーグでありながら、誠にもって皮肉な状況を生み出すことになったのだ。
所詮、”お客さんチーム”であることに観客が気づき始めたとき、北米リーグは終わりを告げたのだった。
また韓国リーグでは、代表チームの強化を優先しすぎたために、各チームのスター選手が”不足”のままリーグ戦が行われた。それにもかかわらず、1試合平均2万人の観客動員に、
「これでもう大丈夫でっせ」
と、早とちりした事務局側が、3年目に浮気、あ、いや入場料を3倍にしたため、一挙に観客数が激減したとのころである-----。




Jリーグ誕生
北米リーグがもっとも華やかだった時代から15年、韓国のスーパーリーグから10年後に、Jリーグは産声を上げた・・・・。
綿密かつ用意周到な史上戦略の甲斐もあって、これ以上は考えられないであろう、最高のスタートを切ったJリーグは、ある意味ではとても似通った状況に置かれていた、この2つの国の”盛衰”から少なからず、そして何よりも貴重な教訓を得たに違いない。
Jリーグは、彼らの”聖水”を浴びた『申し子』として、今後は彼らの再生の時の指針となるべく、成長していかねばならない宿命にあるように思えてならないのだ。
Jリーグがこのまま成功を続けるならば、新たな2つの強力なリーグを生み出すことになるかもしれない。
”USリーグ”と
Kリーグ”という・・・・。



ペレがコスモス側に提示した条件は、
1、豪華ヨット
2、運転手付き自動車
3、ジェット機一機
4、ロックフェラービルの1フロア
などなど計11項目。これに700万ドル(当時のレートで役21億円)の契約金。

ペレスゲェ。それを呑んじゃう方も凄いが、桁が違うなぁ。11項目全てを書いて欲しかったなぁ。わかってるなら。契約金だから1〜2年ちょろっとやってやめてるがそれでも貰えたんだろうなぁ。

いやあこの作者のなすもりゆきさん凄いわ。10年前のJ元年総集編に書かれた文章だが、その後の予想を含めて、今読んでも、全然違和感がないな。
それに最後の

Jリーグがこのまま成功を続けるならば、新たな2つの強力なリーグを生み出すことになるかもしれない。
”USリーグ”と
Kリーグ”という・・・・。

USリーグかあ。確かに名前はUSリーグではなくMLSと違うが過去の外国人オールスターチームの失敗から学んで頑張ってるなぁ。今度チームも増えるらしいしなぁ。




ん?ん?ん?

Kリーグ”という・・・・。

どっかで聞いた事がある名前だなw 確かそんな名前のリーグがあったなw
Jリーグ開幕後名前変更したリーグがw

また韓国リーグでは、代表チームの強化を優先しすぎたために、各チームのスター選手が”不足”のままリーグ戦が行われた。それにもかかわらず、1試合平均2万人の観客動員に、
「これでもう大丈夫でっせ」
と、早とちりした事務局側が、3年目に浮気、あ、いや入場料を3倍にしたため、一挙に観客数が激減したとのころである-----。

んどっかで似たような状況があったな確か。


また韓国リーグでは、代表チームの強化を優先しすぎたために、各チームのスター選手が”不足”のままリーグ戦が行われた。2002年ワールドカップ後一時的に観客は増えたが、
一挙に観客数が激減したとのころである-----。


と少し変えたら通用するなw


Jリーグがこのまま成功を続けるならば、新たな2つの強力なリーグを生み出すことになるかもしれない。

惜しい、2つではなかったなw





ストライカー2/20 臨時増刊号 栄光への飛翔 Jリーグ元年総集編 1994年2月17日発行

http://f.hatena.ne.jp/condeuma/20041124024643