FUTBOL MUNDIAL #610●特集1:ガーナ代表

●特集1:ガーナ代表
W杯出場まで後1歩と迫ったガーナ代表を特集。

ガーナはサッカーが国民的スポーツ
人々がサッカーをする姿は首都アクラ(Accra)のビーチでも
ガーナ第2の都市クマシ(Kumasi)の市場でもどこでも見られる光景です
サッカー設備が整っていると言う訳ではありませんが、サッカーがガーナの人々にとってかけがえの無い物なのです



ガーナ国民二千万人の誇りであるガーナ代表チーム
悲願であるワールドカップ出場に向け、今月初め2試合を残しアフリカ地区最終予選グループ2で、強豪南アフリカと共に首位に立っています


昨年12月にセルビア人のラトミール・ドゥイコビッチ監督が就任してからチームは大きく変わりました
以前ルワンダ代表監督を勤めた事もあるドゥイコビッチ監督のの熱い思いが選手たちにしっかりと伝わった結果です




ratomir dujkovic
「まずアフリカ人選手には難しいと言われる規律を教える事に専念しました。それと責任感を植え付ける事にも力を入れましたね。選手一人一人に自分の役割を認識させたのです。お陰で皆代表チームの為に100%の力を注ぐ様になりました」




60年代はガーナサッカーの黄金時代でした
63年に開催国としてアフリカネーションズカップで優勝
二年後に連覇を果たし、アフリカ最強の国とまで称されました


63年大会決勝で2ゴールをあげ、一躍ヒーローとなったウィルバーフォース・エムフム
しかしワールドカップ出場の夢を果たす事は出来ませんでした




wilberforce mfum
「ガーナがワールドカップで戦う所を見るまでは死んでも死にきれません。2006年ドイツ大会には何としても出場してもらいたいですね」




70年代と80年代には全く良い所のなかったガーナ
90年代の初めにはフランスのマルセイユで活躍していたアベディ・ペレや、ブンデスリーガプレミアリーグで活躍したトニー・イエボアが現れましたが、それでもワールドカップ出場の夢を果たす事は出来ていません





abedi pele
「一人の人間としてそしてガーナ人として、私はガーナ代表チームに情熱の全てを注いでいました。ワールドカップ出場という夢に全てを捧げていたのです。でもその夢を現実のものとする事は出来ませんでした。これも生きていれば誰もが遭遇する不運だったと諦めましたけどね。ワールドカップには出場出来ませんでしたが、アベディ・ペレという名はガーナだけで無く世界中に知れ渡ったはずです」




アクラでサッカースクールを運営する三十歳のニイ・ランプティ
第2のペレと期待され91年ワールドユースでガーナを優勝へと導いた立役者でした
しかしその後期待通りの活躍を見せる事は出来ませんでした




nii lamptey
「私はあの年のワールドユースで得点王になって大会ベストプレーヤーに選ばれました。優勝出来たなんてまるで夢の様でしたねぇ。でもその後は辛いことが続きました。何処へ行ってもペレの様な活躍を期待されます。ペレという名前に常に追い立てられていましたねぇ。これに加えて二人の監督にサッカー人生を台無しにされる様な事もありました。でもそれを言い訳にするつもりはありません。色々ありましたが人間として成長する事も出来ましたし今はとても幸せです」




報われないことが続きましたが、ようやくガーナに成功の足音が聞こえ始めました
先日チェルシーへ移籍したマイケル・エッシェン、フネルバフチェのステファン・アッピアーとローマのサミエル・クフォー
今のガーナ代表チームは国外で活躍するスター選手を数多く抱えています



しかし今年五月にガーナサッカー協会を中傷したクフォーは代表から外されました




stephen appiah
「チームに纏まりがなければ成功は出来ません。今のガーナは以前と比べて格段に纏まったチームになっています。冗談を言い合ったり、共に練習に励んだり、そういう事が今のガーナの好調の秘訣です」




9月3日の夜はガーナ中がテレビに釘付けでした
ワールドカップ予選のライバル、南アフリカがアウェーでブルキナファソと対戦したからです
ガーナ中がブルキナファソの勝利を期待していました
そして期待通り、ブルキナファソは3対1で勝ちました
その翌日ガーナとウガンダの試合が行われる、クマシのババヤラスポーツスタジアム周辺には何千人ものファンが祝福の為に集まりました
ウガンダに勝てば2006年ドイツワールドカップ出場を確実に出来ます




ガーナサポーターA
「ガーナの楽勝です。必ずワールドカップに行けるはずですよ」



ガーナサポーターB
「7対1でガーナが勝ちます。大差でね。信じてください。絶対にガーナが勝ちますよ」




試合当日の朝
クマシの市民には何時もと全く変わった様子はありません




ラジオのDJ
「ガーナ中が待ちに待ったこの日がやってきました。今日は2005年9月4日、日曜日。ご存知の通りワールドカップアフリカ地区最終予選でガーナがウガンダと対戦する日です。勿論ババヤラスポーツスタジアム(Baba Yara sports stadium)から実験中継もお届しますからお楽しみに。教会の礼拝の後は皆さんババヤラスポーツスタジアムに集まりましょう。そしてガーナの熱いスピリットを感じましょう」




教会の神父
「神の良き計らいを祈りましょう。スポーツの場では悪い事は何も起こりません。暴力も脅迫も何者も美しい試合を傷つける事は出来ません。ガーナが勝利を収められますよう、それも素晴らしい勝利を収める事が出来ます様に。神よ。我々はあなたに祈りを捧げます」




日曜の午後ガーナ代表のオフィシャルサポーターズクラブのメンバー達がスタジアムへ向かいました
試合開始四時間半前に到着した彼らを迎えたのは、四万五千人もの期待に胸を膨らませたガーナサポーターでした



お祭りムードで迎えられたガーナの選手達
グループ最下位のウガンダとの試合には楽勝ムードが漂います
クフォーはいませんがエッシェンアッピアーはスターティングメンバーです



開始4分早くもガーナに最初のチャンス
しかしアッピアーのシュートは決まりませんでした
それでも6分後、エッシェンのゴールが決まってガーナが先制します
さらに前半11分にはマシューアモア(Matthew AMOAH)のゴールで2対0とリードを広げガーナは試合を支配します


ウガンダも必死にチームの立て直しを図りますが、2点をリードするガーナは余裕
後半アッピアーのシュートがゴールネットを揺らしましたがオフサイドの判定でした
ガーナにとって唯一の不運はエッシェンの怪我位でしょう
でもこの翌週、エッシェンは元気にチェルシーの試合に出場しています。心配はいりません




この試合に2対0で勝ち、2位以下に勝ち点3差をつけてグループ首位の座をキープしたガーナ
2位のコンゴ共和国にも僅かなチャンスは残されていますが、ガーナ国民は早くもワールドカップ出場権を手にした様な喜び様です
悲願が叶う瞬間は直そこまで来ています






Abedi PELE
http://www.football-island.net/players3/abedipele.html
http://www.ghanaweb.com/GhanaHomePage/people/pop-up.php?ID=164
http://en.wikipedia.org/wiki/Abedi_Pele





PLAYER PROFILES
Michael Essien
A protracted transfer that dragged on almost as long as the 2005 close season finally came to an end when Michael’s former club Lyon accepted a Chelsea record fee for their star midfielder.

The 22 year-old had grown to become one of hottest properties in Europe in his two years playing in France’s second city. His dominant performances as the team won back-to-back league titles and twice reached the Champions League quarter-final (losing to Mourinho’s Porto on the first occasion) saw to that.

A powerhouse player who finds no difficulty in getting around the pitch, he earned the nickname ‘The Bison’. Capable of playing deep in midfield (a much needed understudy to Claude Makelele), Michael has also taken up more attacking positions in France and likes to try his luck shooting from distance. Jose Mourinho has described the player as ‘multifunctional’. The reported £24.4 million price tag reflects this.

Michael grew up Accra, capital of his homeland Ghana, and the city that also gave the world Marcel Desailly. Unlike the our former captain, Michael remained in Africa into adulthood, playing for his country at junior levels and beginning his club football at Liberty Professionals.

His profile was raised by a third place finish for Ghana in the Under 17s World Cup which led to a trial at Man United. But it was to Corsica he went, signing to play in the French league with Bastia. At first he was used to fill a variety of positions across the defence but could not hold down a regular place. Then injury left a vacancy in midfield and Michael would never look back.

Bastia reached the French Cup Final in 2002 and the following summer Michael made the move to league champions Lyon for 7.8 million euros. Last season he was voted Player of the Year in France before making no secret of his desire to move to the Premiership with Chelsea where he made his debut as a sub against Arsenal just two days after signing. He is the most expensive African footballer in the world.


Player Info
Squad Number: 5
Date of Birth: 03 Dec 1982
Height: 6 0
Career
Signed: 19 Aug 2005
Previous clubs: Bastia, Lyon

http://www.chelseafc.com/Player.asp?plid=8442&nav=players&title=Micheal+Essien

04 - Stephen Appiah

Branch: Football
Position: Midfielder
Date of birth: 24.12.1980
Place of birth: Accra - Ghana
Height: 1,78m
Weight: 77kg

Former clubs: Udinese, Parma, Brescia, Juventus

Hobbies: Listening to music, watching basketball and playing table tennis.

http://www.fenerbahce.org/eng/kurumsaldetay.asp?ContentID=410

SAMUEL OSEI KUFFOUR



Nato a KUMASI (GHA)
Il 03/09/1976
Altezza cm 175
Peso kg 75
Nazione Ghana
Ruolo Difensore/Defender

N° maglia 4
Esordio in Serie A 28 agosto 2005, Reggina-Roma 0-3

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STAGIONE 2005/2006

Squadra Competizione Presenze Gol

ROMA Serie A 4 0

ROMA Coppa Uefa 1 0
ROMA Coppa Italia

CARRIERA

Stagione Squadra Serie Presenze Gol
2004/2005 Bayern Monaco Bundesliga 7 -
2003/2004 Bayern Monaco Bundesliga 23 1
2002/2003 Bayern Monaco Bundesliga 20 1
2001/2002 Bayern Monaco Bundesliga 21 1
2000/2001 Bayern Monaco Bundesliga 23 1
1999/2000 Bayern Monaco Bundesliga 18 2
1998/1999 Bayern Monaco Bundesliga 15 -
1997/1998 Bayern Monaco Bundesliga 17 2
1996/1997 Bayern Monaco Bundesliga 22 -
1995/1996 Norimberga Bundesliga 2 12 1
1994/1995 Bayern Monaco Bundesliga 9 -
http://www.asromacalcio.it/LaSquadraDoc.aspx?Numero=4208

ラトミール・ドゥイコビッチ
ratomir dujkovic
Nom / Prenom : Dujkovic Ratomir
Date de Naissance : 24/02/46
Lieu de Naissance : Borovo ( Croatie)
Nationalite : Serbe
Etat Civil : Marie, 2 enfants
Carriere de joueur : Borovo, Etoile Rouge de Belgrade, Real Oviedo (Espagne), FC Zemun
Palmares : 4 Championnats de Yougoslavie,
? Finaliste de la C1 en 1970
Poste : Gardien de Buts.
Carriere entraineur :
Poste actuel : Selection du Rwanda depuis 2001
Parcours : Etoile Rouge de Belgrade
Selection du Venezuela, de la Birmanie, Atletico Zulia (VEN)
Palmares : Vainqueur Ligue des Champions EUFA 2001 - Coupe intercontinentale 2001 - Qualifie pour la CAN 2004 a Tunis.

http://www.africafoot.com/international/rwanda/ratomir_dujkovic.html



wilberforce mfum
http://people.africadatabase.org/en/person/17313.html





ガーナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%8A





ガーナ代表メンバー
http://www.weys.net/data/moca/national2/africa/ghana.html






Jスポーツ
http://www.jsports.co.jp/program/info/8854.html