FUTBOL MUNDIAL #727●特集1:ザ・ストロンゲスト

●特集1:ザ・ストロンゲスト
ボリビアのクラブ、ザ・ストロンゲストの悲しい物語。

最早移動の手段として切り離すことは出来ないサッカーと飛行機の関係
しかし1949年5月におきた墜落事故ではイタリアのクラブ、トリノの選手ほぼ全員の命が奪われました


1958年2月ミュンヘンで起きた飛行機事故ではバスビーベイブスと呼ばれたマンチェスター・ユナイテッドの主力選手8名が亡くなりました


1993年にはワールドカップ予選のセネガル戦に向かうザンビア代表選手18名を乗せた飛行機がガボン(Gabon )沖の大西洋で墜落
全員の命が奪われるという事故が起こりザンビアの国中が悲しみに包まれました



1969年に撮影されたこの映像は、当時前途有望と期待されたボリビアのクラブ、ザ・ストロンゲスト(The Strongest)が残した最後の映像となりました
ボリビア最大で最も人気の高いクラブだったストロンゲスト
バルセロナ・オブ・エクアドル(Barcelona Sporting Club?)とのフレンドリーマッチの映像です


この数週間後サンタクルス近郊で開催された4つのクラブの対抗トーナメントからラパス(La Paz)に帰る途中のストロンゲストを悲劇が襲いました
実際に何が起きたのかは謎のままですがアンデス地方のヴィロコ(Viloco)で墜落事故が発生
ストロンゲストの選手19名を含む74名の乗客が帰らぬ人になりました



rolando vargas
「あの日の午後私は家族と一緒に家で過ごしていました。すると突然電話が引っ切り無しに鳴り始めたんです。皆私の事を探していました。家にも沢山の人が訪れ私の安否を聞くんです。妻に一体何が起きたのかと聞くとラジオのニュースでラパスに戻る途中のストロンゲストの選手を乗せた飛行機が事故にあったというではないですか、息が止まるかと思いましたねぇ。それからの数時間は生きた心地がしませんでした。実際に何がおこったのか全く情報がありませんでしたからねぇ。しばらくしてニュースでストロンゲストの選手を乗せた飛行機の通信が途絶え消息不明になっているという事を知りました」



ローランド・バルガスを含む3名の選手は、偶々この飛行機には乗っていませんでした
この後バルガスはチームメートの遺体の確認作業を行う事になります
この辛く悲しい記憶はバルガスの脳裏を離れる事はありません



rolando vargas
「私は偶々事故機に乗り合わせていませんでした。事故の後も私はずっとそのトラウマに悩まされ続けてきました。再びピッチに立つのも遠征に出るのも辛かったですね。ストロンゲストの一員として戦うのが辛かったんです。でもきっと神は何か考えがあって、私が亡くなったチームメート達の思い出の一部となり、新たなストロンゲストの復活を果たせる様私の事を生き残らせたんだと信じる事にしたんです。辛く悲しい日々と多大なる犠牲を払う事となりましたが、我々は何とか立ち直り、当時最強と呼ばれた偉大なるストロンゲストを見事復活させる事が出来ました」



ヴィロコの悲劇は国外のクラブの同情を誘い、無くなった選手の家族を救う為の資金集めとして、多くのチャリティマッチが開催されました
ペレを擁するサントスもラパスを訪れました
ボカジュニアーズからは2名の選手がストロンゲストにレンタル移籍


若手監督が招聘され命を落とした選手達に敬意を表する為の新しいチームが誕生します
そしてこの強い献身の思いと決意で、ストロンゲストは翌シーズンからリーグ2連覇を果たすのです



rolando vargas
「リーグ2連覇を達成出来るなんて夢の様でしたね。あれは人々の記憶に残る美しい復活の瞬間でした。でもだからといってクラブがそして残された家族が受けた悲しみと苦しみは無くなる事はありません。底知れぬ努力と犠牲を払って、我々はストロンゲストを生まれ変えらせる事が出来ました。あの日再び手にしたタイトルは失った友人達に捧げるタイトルです」



jorge pacheco
「ストロンゲストのファンは皆クラブに対して熱いプライドを抱いています。そしてそれがクラブを支える強みなのです。ヴィロコの悲劇が今のストロンゲストを作り上げているんです。ストロンゲストのエンブレムである虎はガッツを意味します。そしてそれは尽きる事の無い献身、強さ、そして勇気でもあるのです。我々はこの思いをクラブのスローガンとエンブレムに込めました。クラブがこんなに早く復活出来たのはこの想いがあってこそです」



ストロンゲストの現会長ホルヘ・パチェコにとって、少年時代に応援していたクラブと、現在彼が責任を背負っているクラブとは大きく異なります
以前のストロンゲストは愛と献身から生まれたクラブでした
しかし現在は他の国のサッカーと同様にボリビアでもサッカーは商業的カラーがより強くなっています
クラブの運営には多大なコストがかかります
ですからパチェコも地元の選手を上手く使おうと力を入れているのです


未来のストロンゲストを支えると期待される16歳のアレハンドロ・チュマセロ
デビュー戦でゴールを決めU−17ボリビア代表入りを果たしました
クラブも国もアレハンドロの様な選手をもっと育成しなければなりません
ボリビア代表が最後に活躍したのは94年ワールドカップまで遡ります



alejandro chumacero
「このユニフォームに袖を通す事が私にとっては全てです。このユニフォームは私にとって情熱を意味します。ストロンゲストの選手であるという事は私にとっての誇りです。私の夢は何時かストロンゲストの10番をつける事です。そして毎シーズンチャンピオンに輝きたいですね」



jorge pacheco
「スポーツをするボリビアの若者の数は増えていますが、まだまだ皆レクリエーションの域を出ません。ボリビアではスポーツは若者達にとって楽しむ為だけのものなんです。でもこれからはレクリエーション目的だけではなく、もっと組織的に国のスポーツ人口を増やしていかなければなりません。そうする事によりより多くの才能豊かなスポーツマン、スポーツウーマンを発掘する事が可能になるでしょう。何といってもボリビアは世界中のどの国よりも豊富な人材を抱えていますからね」



1908年に創立したストロンゲストはボリビアで最も古いクラブで、来年記念すべき創立100周年を迎えます
ボリビアリーグの優勝決定トーナメントは上位6チームの総当り戦で行われます


リーグ首位で優勝候補だったストロンゲスト
優勝すればコパリベルタドーレスの出場権を獲得出来ました
しかし開幕5試合で4敗を喫し、優勝争いから脱落
今シーズンのタイトルは逃しました
来シーズンに期待がかかります



jorge pacheco
「一つのクラブが100年間も存続するということはもの凄い事です。100周年は可能な限りの最高の形で迎えたいですね。クラブの長い歴史に相応しい形で100周年を祝いたいと思っています。勿論100周年に彩りを添えるタイトルも手にしたいですね。そしてボリビアのスポーツの歴史に刻み込まれる様な祝典にしたいです」



飛行機事故で命を落とした選手達もクラブ100年の1ページ
喜びも悲しみも愛すべきクラブの歴史です






The Strongest
http://www.clubthestrongest.net/
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Strongest


Alejandro Chumacero Bracamonte

Nacido en : Bolivia
A?o de nacimiento: --/--/1992
Peso: -- Kg
Altura: ... Mts
POSICION: Volante de Creacion
AムO QUE LLEGO AL CLUB: 1999
Equipos donde jugo: Es producto de la cantera de divisiones inferiores del Club .
WALLPAPER
http://www.clubthestrongest.net/chumacero2007.htm

スペルガの悲劇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87


ミュンヘンの悲劇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%83%98%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%82%B2%E5%8A%87



Zambia national football team
http://en.wikipedia.org/wiki/Zambia_national_football_team



Barcelona Sporting Club
http://en.wikipedia.org/wiki/Barcelona_Sporting_Club





FUTBOL MUNDIAL #725●特集3:タウイチ・アカデミー
http://d.hatena.ne.jp/condeuma/20071202