FUTBOL MUNDIAL #766●特集4:シエンシアーノのバサラル一家

ペルーの首都から東へ凡そ900kmに位置するクスコ(Cusco)
独特の建築とインカ帝国の遺産で有名で、インカの遺跡マチュピチュ(Machu Picchu)に向かう拠点でもあります


この地で長く愛されているクラブがシエンシアーノ・デル・クスコ(Cienciano del Cuzco)
創立は1901年ですがハイライトは21世紀になってから


2003年にコパスダメリカーナ、2004年にレコパ・スダメリカーナ(Recopa Sudamericana)で優勝
国際トーナメントを制したペルーで唯一のクラブです


チームの主力は40歳のキャプテン、ファン・カルロス・バサラル
シエンシアーノファウスト・コルネホは2003年にバサラルが加わってからリマのクラブに対抗できる様になったと振り返ります



fausto cornejo
「バサラルはシエンシアーノに今までとは違ったメンタリティ、つまり試合へ臨む時のより高いプロ意識を齎してくれたんです。チームを変えてくれた人ですよ。国際舞台での優勝にも大きく貢献してくれましたし、シエンシアーノがこの所成功出来ているのは皆彼のおかげだと思います。私の中ではクラブ史上最高のプレーヤーなんですよ」



キャプテンの素顔に迫るべく、バサラル一家とラテンアメリカ屈指の名所を目指す事にしました
世界の7不思議に数えられるマチュピチュ遺跡です

早朝に出発し、山岳鉄道に乗車
スイッチバックを繰り返しながらインカの遺跡へ


聖なる谷を下りアンデス山脈の急流地帯に沿って進みます
ウルバンバ川(Urubamba River)が見えると遺跡はもうすぐ
渓谷の景色は神々しい程です



クスコでは常に注目を浴びているバサラルですが今年5月には世界でも話題になりました
ファン・アウリチ(Juan Aurich)戦に息子のカルロス・アロンソと一緒に出場して親子競演という、歴史的な一戦を3対2でものにしたからです


18歳にして国内のプロ選手達から羨望の的となったカルロス・アロンソ
ペルーのトップリーグでデビューを飾っただけでなく、その瞬間を父と共に迎えたからです



carlos alonso bazalar
「チームはミッドウイークにリマへ遠征したんですけど、監督から一緒に行かなくても良いと言われました。週末のゲームに万全の状態で臨める様にしてくれたんです。出られるなんて夢の様でした。数日前に言われて試合の前日は眠れなくてね。でもいざ始まったらリラックスして自信を持ってやれました」



ペルーきってのスポーツ一家として有名なバサラル一家
始まりはファン・カルロスの叔父ルイス・クルサード(Luis Cruzado)
70年代に輝きをはなったペルー代表の一員でした



juan carlos bazalar
「叔父は70年代のサッカーのペルー代表メンバーで、あそこからスポーツ一家としての歴史が始まったんです。実は私の妻も80年代から90年代に黄金時代を迎えていたバレーボールのペルー代表メンバーだったんですよ。そして仕上げが私達親子。同じピッチに立つ事が出来ました」



クラブ・ウニベルシタリオ(Club Universitario de Deportes)でデビューしたファン・カルロス
後に同じリマのライバル、アリアンサ・リマ(Alianza Lima)へ
そこで大きな悲しみと出会いますがサッカーと信仰心を支えに乗り越えます



juan carlos bazalar
「今まで生きてきた中で一番辛かったですね。97年に生まれたばかりの子供を亡くしてしまったんです。家族全員が悲しみに包まれました。でも神のご加護もあってアリアンサ・リマで18年ぶりのリーグ制覇を果たせました。あれ以来デビー?ファン・カルロスは我が家の守護天使なんですよ」



その6年後リマを離れクスコへ
移籍後1シーズン目でコパスダメリカーナ制覇に貢献
それ以来ずっとシエンシアーノを支え続けています


父と一緒にクスコに移った時は13歳だったカルロス・アロンソ
息子は父に刺激を、代わりに父は息子へ大きな影響を与えてきました
夢中でプレーを続けてきたファンカルロス
その情熱は直に息子達にも伝わりました



juan carlos bazalar
「カルロス・アロンソはサッカーと一緒に大きくなってきました。試合の時は彼とパオロの二人を何時も連れて行って、チームのマスコット的存在だったんです。二人共小さい頃からテクニックを持っていたので期待されていましたしね」



キャリアのスタートでは父を超えるインパクトを残したカルロス・アロンソ
韓国でのFIFAU-17ワールドカップではコスタリカと韓国を相手にゴール
2007年のコパアメリカで代表入りしていた父でさえ経験した事が無い様なスター扱いを受けました


母親のセシリア・アロステギは栄光を味わったバレーボール選手
ただペルーが銀メダルを獲得した88年のソウルオリンピックには妊娠していて出られませんでした
そんなセシリアも息子の急成長にはビックリしています



cecilla arostegui
「記者が一杯で表にも出られない位なんです。一緒にゲームを見たいと家まで入ってこようとする人もいてね。私が一緒に試合を見たいのは家族だけ。結局即興で記者会見を開いて、何だか妙な気分でしたけど誇りには思いました」



ファン・カルロスを怪我で欠きながら前期リーグであ4位に入ったシエンシアーノ
後期リーグで優勝すれば08-09シーズンのコパリベルタドーレスに出場できます
バサラル一家にとっては新たな夢を手にするチャンス



juan carlos bazalar
「コパリベルタドーレスへの出場は私達の大きな夢なんです。息子2人と一緒に出るなんて考えただけでも興奮しますよ。夢は夢でも実現可能なんですからね」



16歳のパオロもシエンシアーノとプロ契約
スタートしたばかりの後期リーグでのデビューが期待されます
家族から学んだ事を活かし、力を発揮出来ると自信を覗かせます



paolo bazalar
「家族から学んだ色々な事を活かすつもりです。母は互いを思いやる気持ちを教えてくれましたし、父からは責任感や尊敬の気持ち。そして常にベストを尽くす事は兄から学びました」



コパリベルタドーレスで3人の共演は叶うのか?
U−20代表のカルロス・アロンソを中心にバサラル一家には明るい未来が開けています
夢を叶え続ければクスコにマチュピチュ遺跡に負けないインパクトを残せるかもしれません





Juan Carlos Bazalar
http://es.wikipedia.org/wiki/Juan_Carlos_Bazalar


Alonso Bazalar
http://es.wikipedia.org/wiki/Alonso_Bazalar



Luis Cruzado
http://es.wikipedia.org/wiki/Luis_Cruzado




Cienciano del Cuzco
http://en.wikipedia.org/wiki/Cienciano_del_Cuzco



Juan Aurich
http://es.wikipedia.org/wiki/Juan_Aurich


マチュ・ピチュ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%81%E3%83%A5



ウルバンバ川
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%90%E5%B7%9D



コパ・スダメリカーナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%91%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A



レコパ・スダメリカーナ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%91%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A




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